ルンデの会例会金澤 攝 |
◎知られざる作曲家、没後120年を期して甦る◎ |
ヴィルヘルム・クリューガー (1820-1883)
<第1部> アンプロムプチュ“かもしか”Op.14 レヴェリー“エオリアンハープ”Op.25 ヴェルディの歌劇「エルナーニ」より“おお、偉大なカルロよ!”Op.44 オーベールのオペラによるイラストレーション“シルカシアの女”Op.107 グノーの歌劇「シバの女王」より“シバの女たちの合唱”Op.112 <第2部> フロトウの歌劇「シトラデッラ」より“セレナード”Op.118 bis イラストレーション・ドラマティック“ガラテー”(マッセ作)Op.120 モニューシコのメロディ“コザック”Op.123 アンダンテ・ノクターン“優しい想い出”Op.130 グルックの「イフィジェニア」よりスキチア人の合唱とバレエ Op.154 <第3部> ヘンデル(クリューガー編):組曲 第3番 ニ短調 |
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2004年1月10日(土)19時
スタジオ・ルンデ(名古屋市中区丸の内 2-16.-7) 【参加会費】一般 \5,000、ペア \9,000、学生 \2,000 一部座席予約可(160席中約50席) 【予約、お問合わせ】スタジオ・ルンデ TEL:052−203−4188 |
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1989年5月、私は「アルカン選集」の録音に関する楽譜の調査のため、パリを訪れていた。その折、懐かしいセーヌ河畔の古書店で、かなり傷んだ楽譜が軒先に並べられていた中に、いくつかの興味深いピアノ曲を発見した。アントワーヌ・マルモンテル、テオドール・デュボワ(ラヴィーナに献呈された曲)、ラウル・プーニョらの作品と共に、W. Kruger の名を見出した。その名前はすぐ脳裏に蘇った。サン=サーンスがエチュード(Op.52-2)を捧げた人名である。ヴェルディのエルナーニによるトランスクリプション Op.44 がそれである。
リストやタールベルクに倣い、当時ポピュラーだったオペラのメロディを用いて華麗なショーピースを書き散らした名手たちは数知れずいたが、その殆どは今日絶滅しており、オリジナリティという観点から見れば、それらはリヴァイヴァルさせるだけの価値も必要もないと思われるジャンルである。その中にあってクリューガーは数少ない例外の一人として私を魅了する力を持っていた。誰の主題を持ち込もうと、そこには一貫した彼自身の個性が明らかに認められる上、書法的にも見事である。作品の献呈を受けた人たちは当時の著名な音楽家たちが数多く含まれていて、原作者の夫人に書かれたものまであることが最近になって判明した。 Op.44 で関心を持った私はその後5〜6年の間に10数点の楽譜やコピーを断続的に入手できたが、今回のプログラムはこの時点で揃った楽譜によっている。しかし、その後、空白は長く続く。調査では Op.167 までの作品の存在を知ったが(その大半は他者の主題による)、とりのけ唯一の「大ソナタハ長調 Op.100」がどうしても見つけられない。出版した Breitkopf 社を初め、パリ、ロンドン、ウィーン、ベルリン、ミュンヘン、ニューヨーク等々の主要国立図書館を当たったものの、諦めざるを得なかった。Kruger への追求はこれを機に中断してしまう。 ところが昨2002年になって、思いがけない機縁により、上記のソナタを含む Kruger の作品の殆どが一気に揃うことになる。未入手作品は現時点で6点を残すのみとなり、このうち4曲は収蔵先が判明しているほか、残りのうちの一つ(Op.158)は欠番の可能性が高い(ここでの顛末は当日の説明に譲りたい)。 今日、W. Kruger について、作品はもとより彼の名を知る人は恐らく存在しない。シュトゥットガルト生まれの彼はリントペイントナー(Peter Joseph von Lindpaintner 1791-1856)に学んだ後、20代半ばでパリに出て、リストらと親交を結び、当代一流のピアニストの一人としての栄光を手中にする。その後もパリに留まり、1870年(50才)の普仏戦争で敵国となったフランスからやむなくドイツに帰郷。生地の音楽院の教授を勤め、1883年、62才で没した。特に死の前年に出版された、ヘンデルの全クラヴィーア作品の校訂は、良識と創意にみちた、秀逸なエディションとして、後のブゾーニ版バッハの先駆ともいえる位置にあるといえよう。 クリューガーの没後120年に当たる今回のコンサートでは、例によって作品年代を追いつつ、Op.14〜154までの作品10点と、ヘンデルの組曲から1つを選んでその再生の端緒としたい。クリューガーは華麗ながらも、決して技巧を誇示するといったタイプの音楽家ではなかった。特にオペラのステージへの限りない憧れと愛情、当時の生活感や気配といったものが極めてリアルに伝わって来る。私が特に魅かれるのは、明らかに今日には絶えてしまった、何か違う調子のものを感ずるのである。雰囲気か? 色彩感か? それは私の最も古い記憶の中に、微かに残っているものを呼び醒ますような、不思議な感覚なのである。 (2003.11. 5 Osamu N.Kanazawa) |