「受賞の言葉」 酒井 淳
【第15回齋藤秀雄メモリアル基金賞資料より】
この度「齋藤秀雄メモリアル基金賞」を私にと、ソニー音楽財団様からご連絡を頂いた時は正直、驚きと喜びの気持ちが混じり溢れて隠せない心境だったのですが、日が経つにつれ、齋藤秀雄さんの名のある賞を、チェリストまたは教鞭をとる者として受けさせて頂く、責任の重大さをつくづく実感し始め、本当に恐縮しております。
最近、1933年に齋藤秀雄さんがチェリストとして録音したスッペの「詩人と農夫」序曲の録音を聴く機会がありました。素朴な音色で奏でる内には、崇高な精神性と哲学的な教養が一貫として裏付けられていて、氏の魂のあり方に深く感動いたしました。また以前、ヴィヴァルディの「四季」を指揮なさっている映像を観たこともあるのですが、厳しく綿密な音楽作りの姿勢からは「信念があれば山をも動かす」という聖書の言葉をまさに実行なさっていた人の姿があり、大変輝いてみえました。
教育者としての齋藤秀雄さんの偉大なる功績を私から言及する必要などないのですが、子供たちに、時の経つのを忘れるほど音楽の基礎を辛抱強く、かつ優しい眼差しで教えている姿を見て、明確なピジョンを常に持ちながらコツコツと絶え間なく積み上げた努力の結晶が結ばれる過程というものはこういうものなのだと思い、氏の使命感溢れる生き方に感銘を受けました。
私もいやはや、後進の指導にあたる側の身になってしまいました。桐朋学園で教え始めた時にまず、廊下で一生懸命練習していたり、純粋で素直に素朴な質問をしてくる生徒さんたちに出会い、「ああ、なんて良い学校なんだろう」と思いました。その反面、自発的に表現をしたくなる創造性や、「型には入れ」ても「型から出よ」うとする意欲が大半の学生たちに欠けているのを感じ、真の芸術家を育てる難しさを、肌で感じる今日この頃です。
現代社会は世界中において、自国の利益をまず優先する閉鎖的な思想が広まりつつあります。そのような中でも音楽は、空や海のように広大な心で、人と人との繋がりを常に願っています。今こそ、この世界に生きる喜びや悲しみをお互いに分かち合えるメッセージを音楽家として発信しなければなりません。

この度は受賞させていただくことになり、身の引き締まる思いでいつばいです。
最後になってしまいましたが、今まで見守り支えて頂いた先生方、マネージメントの方々、素晴らしい仲間たちと家族に心より感謝申し上げます。
 【贈賞式でのスピーチ】 酒井 淳
皆さま、本日は私のようなヨーロッパを中心に活動している者にこのような賞をいただきましてありがとうございます。ソニー音楽財団様、選んでいただいた選考委員の皆さま、心から御礼を申し上げます。
出会いというものはとても大切だとこの頃実感しております。私は子どものころに父の仕事の関係でアメリカに移りまして、その時からチェロを続けていたのですが、そこで大山平一郎先生に出会い、そしてそのご縁で堤剛先生とも出会うことができました。その後家族が日本に帰った後もヨーロッパに行って、たくさんの方に助けられながらここまでやってくることができました。
今回齋藤秀雄先生の名に因んだ賞をいただくことになりましたが、齋藤秀雄先生の偉大なる日本の文化発展への功績、そして堤先生のチェロ界そして音楽界の発展への功績、そのようなことを私がこれから残すことができるのか、正直に申し上げて本当に自信が無いのですが、皆さまのご協力をいただきながら、これからも精進していきたいと思っています。
今後は、もう少し日本での活動を増やすことができれば、とも思っています。そこで、桐朋学園でのチェロとヴィオラ・ダ・ガンバの若い世代の育成や、17〜18世紀のオペラの紹介等をしていきたいと考えています。
また、私は長年ヨーロッパで通奏低音の仕事でオペラに関わっていた関係で、多くの方の勧めにより指揮を始めました。そしてチェロとヴィオラ・ダ・ガンバの演奏に於いては、“室内楽”というジャンルの日本での発展に貢献することができれば、この賞をいただいた恩返しができるのでは、と思っています。
私に最初にチェロの手ほどきをしてくださった中島顕先生、地元の名古屋でスタジオ・ルンデを創立し、私が12オのときに初めてのリサイタルを開催してくださった鈴木詢先生、そしていつも支えてくれた両親と、内藤雅子さん。本日に至るまで私を支援してくださった皆さまに、この場を借りて感謝の言莱を申し上げます。
最後にソニー音楽財団様、そして選考委員の先生方、重ねて御礼を申し上げます。どうもありがとうございました。

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