reviewConcert Pre- & Re-view
2004

コンサートへの期待と反響を紹介。

あなたの一推しコンサートのアピールや、
感想の投稿を歓迎します。




PREVIEW 2004



REVIEW 2004
 REVIEW 2006   REVIEW 2005   REVIEW 2003   REVIEW 2002   REVIEW 2001 
酒井 淳〜バッハ無伴奏(12/21) 和波孝禧〜ヴァイオリンを語る(12/19) 吉田 文〜オルガン(12/8)
渡辺玲子〜ブラームス3(11/30) エヴァ・ポブウォツカ(11/25) ヴァディム・グルーズマン(11/21)
児玉麻里〜3(11/16) ライプチヒ弦楽四重奏団(11/14) タチャーナ・ヴァシリエヴァ(11/8)
渡辺玲子「ブラームスとその系譜2」(10/31)         エリック・シューマン(10/28)
渡辺玲子「ブラームス1」(10/11) オーケストラ・アンサンブル金沢(9/24)
パシフィカ・クァルテット(9/16) 野原みどり「ラヴェル2」(9/5) 金澤 攝「ヴァイスマン」(8/25)
野原みどり「ラヴェル1」(8/8) 金澤 攝「ハース」(7/26) 工藤重典(7/18)
バルトークから獲たもの〜5〜(7/11) ジェフリー・グライス(7/10)
金澤 攝「ニーマン」(6/26) 前橋汀子(6/14) ウィーン・ピアノトリオ(6/9)
セルゲイ・ハチャトリアン(6/6) ボロメーオ・ストリング・クァルテット(5/27)
児玉麻里(5/16) ロナルド・ブラウティガム(4/25) 堀米ゆず子&児玉 桃(4/4)
御喜美江&崎元 譲(3/21) 鈴木理恵子&高橋悠治(3/18) 上海クァルテット(3/16)
オーケストラ・アンサンブル金沢(3/14) 小山実稚恵(3/13)
タスミン・リトル(2/1) 藤原真理(1/16) 金澤 攝(1/10)

金澤 攝 「ポスト・レーガーの大家たち 第1期の1」
2004年6月26日 スタジオ・ルンデ
●最初が表題のついた小品集で、出だしから大いなる興味を持って聴きました。最初から面白く、全体がとても楽しめたリサイタルでした。
 「古き中国」、「日本」の各曲、感じがよく出ていました。なかなか気の利いた良いスケッチ、というところです。「日本」の中の「海のたそがれ」など、昔旅行中に見た、東北の日本海に沈む美しい夕日を思い出してしまいました。「ゲイシャ」も品が悪くならないのは、流石に昔のクラシック作曲家です。フランス的軽味もあるでしょうが、ドイツ的構成力も感じました。
 後半の「Hamburg」には、ムソルグスキーの「展覧会の絵」の組み立て、サン=サーンスの「動物の謝肉祭」の諧謔に通じるものがあるようです。即物的な「株式仲買人」もその論争が、手回しオルガンもその調子外れっぷりがピアノ音楽になっている点、などが特に面白かったです。
 その他のソナタとレントラーも楽しく聴きました(説明がなかったので、レントラーについていたコッヘラーの意味が分からなかったのは、ちょっと残念)。
 金澤さんの冒頭の解説、いつもながら秀逸です。「作曲家は時代の作品」という言葉もちょっとしたものです。珍しい、しかし聴けば面白い作曲家・作品を発掘してもらい、観賞に耐える立派なリサイタルに仕上げてもらって、それを聴ける、というのは幸せです。古参(?)会員と、特殊な(?)ピアニストだけで細々と聴くのが何とももったいない(何故「一般」ピアニストは聴かない?)と何時も思うのですが、「参加者にだけ許された楽しみ」ということでしょう。
 このシリーズ、あと2回も今から楽しみです!【緑区:K. I. 】
●一般に標題のついた曲は、つい親しみやすさや解りやすさを期待して、結果はン?ということがままあるのだけれど、“HAMBURUG” は面白かった。「幽霊」はそ――んな感じ!だった。声の大きい者が勝ちだ、と思ったのはズバリ「論争」。水面のキラキラが連想された「月夜」。何たって楽しかったのは調子ッ外れの「手回しオルガン」。
 知らない作曲家の、聴いたこともない作品でも、そう、せっかくテーブルに並んだんだもの、食べてみなくちゃ。とってもおいしかった。もし私がピアニストならば、このごちそう、自分も作って他の人にも食べてもらいたい、と思うだろうな。【Mi】
●攝さんは以前に比べてすっかり「肩の力」が抜けたようで、考えようによってはピアニストらしくなったとも言えるが、また一方では昔の魅力が減ったとも……。複雑です。【anonym.】

インデックスへ戻る

前橋汀子 ヴァイオリン・リサイタル 「ブラームス全集」
2004年6月14日 スタジオ・ルンデ
●やはり「雨の歌」ですね。主題の流れた途端、聴きに来た幸せを一杯に感じました。さすが大御所!!【緑区:R. I. 】
●ブラームスのヴァイオリン・ソナタは初めて聴きましたが、これ程素晴らしい曲だとは……。すすり泣くようなpppと情熱的なfffのコントラスとがなんとも感動的でした。
 アンコールのハンガリー舞曲第1番、ジプシー情緒たっぷりの演奏を楽しませてもらいまいた。【熱田区:D. H. 】
●出だしは前橋さん程の人でも緊張しておられるのか?とも私は思いましたが、第1番第1楽章途中より、ぐいぐい盛り上げ、終ってみれば、全3曲、素晴らしい、非常にドラマチックなブラームスでした!ピアノとのバランスでのブラームスらしい音の厚みも強く感じられました。後半第3番の演奏は特にすごかったです。
 それにしても、この季節に「雨の歌」、アンコールに静かにTranquilloが再現され、最後は名人芸、さすがにプログラムも良く考えられていましたね。【緑区:K. I. 】
●ヴァイオリンがうたっていると感じました。前橋さんとヴァイオリンが一体で、本当は前橋さんが情感たっぷりにうたっておられたのですね。素敵な演奏をありがとうございました。【広島県:N. T. 】
●前橋さんのファンです。今日の演奏は一段と音が冴えていたと思います。とにかく、いつも感動させていただきありがたく感謝しています。いつまでもおきれいでお元気でいて下さい。【一宮市:J. O. 】
●前橋さんが最も表現したかったのは、心の奥底にある情熱ではなかったでしょうか。情熱的な内奥からの揺さ振り。そうした激しさを前面に打ち出すと、何某か代償を伴うのでしょうか。時に荒々しさが顔を覗かせ、聴いている時は、正直落ち着かなかった。でも、不思議なもので家路につく頃には、まるで篩にかけたかのように、魂の籠った重みのある音だけが心にズシーンと残って響いてきた。こういうアプローチもあるのだなと思い、サイン会に残らなかったことをちょっと後悔した。【北区:K. A. 】
●きょうは素晴らしかった! 私はおそらく最初に聴いたヴァイオリンの音の相性がよくなかったのか、初めてイヴリー・ギトリスを生で聴いた時、これがヴァイオリンの音というものか、と痛く感激して未だ10年ほど。それからの記憶にあるのが一昨年のしらかわホールでの清水高師、そしてきょうまた本当に心の底から堪能できる音にめぐり合った思い。……ピアノではどうだろう、と考えながら聴いていた。心動かされるコンサートというのはたくさんあるのだが、これまでの記憶に残っている音、というと……ギレリス晩年のコンチェルト、電気文化でかなり前のアニー・フィッシャー、何回かのリサイタルでのラローチャ、5・6年前しらかわでのジャン=フィリップ・コラールのリサイタル。そして腹の底に染み渡ったかのように忘れられないのがニースの夏の夜に聴いたピエール・バルビゼ、氏の亡くなる数ヶ月前のフランク:ヴァイオリンソナタのピアノ。……それらに共通するものは何なのだろう、って。それはおいそれわからない。おそらく私がこれから何年もかけて解いていくことになるのじゃないかな?
きょうはこのコンサートに誘ってくださった知人に深謝。もちろんルンデの皆さまにも!  有り難うございます。【天白区:Y. K. 】
●前橋さんの演奏は、協奏曲は聴いたことがあるが、ソロ・リサイタルは初めてで、非常に楽しみであった。同じようにこの演奏会に期待していた人は多かったと見えて、この日は久しぶりにルンデが満員だった。
 ところでリサイタルというのは最初に演奏者が入ってくるときが一つの大きな瞬聞である。前橋さんが入ってこられたとき、一瞬にしてああこの人は開違いなく練達のプロの演奏家だと思った。これは実に不思議なもので、本人の意思にまったく関係なく、見えるものは見えてしまうのである。ちょっと意外だったのはピアノの東氏で、第一印象が何となく茫洋とした感じで、前橋さんの持っておられる雰囲気とちょっと違うような気がした。もっとも演奏が始まってみるとそんなことはどこかへいってしまったが……。
 さてこの日の演奏を聴きながらずーっと思っていたのは、作曲家と演奏家の「相性」という問題である。これはまったく自分の勝手な決め付けなのだが、前橋さんという人は、曲でいえばたとえばサン=サーンスの「序奏とロンド・カプリチオーソ」やシベリウスのヴァイオリン協奏曲が似合う人ではないかと思う。そういう人が、渋い音楽の代表選手のようなブラームスを弾いた場合、そこには一種の「きしみ」のようなものが生まれて当然だろう。もっともそれが悪いというのではなく、それはそれで一つの音楽の形であり、当日の演奏にしても、そんな余計なことを考えずに自然体で聴いている限りでは、ああこれが前橋さんのブラームスかという陶酔感があり、十二分に満足した。ただし演奏する前橋さんにしてみれば、何かしら妥協を迫られているような気持ちになることがあるのではないだろうか。これまでブラームスのソナタを録音しておられないのも、おそらくそのあたりを自分でも感じておられたからではないかと思う。もっともこれは曲によってかなり様子が違い、たとえば第三番ニ短調なんかは前橋さんの本来持っているテンペラメントがいちばん発揮されうる音楽だと思うし、当日の演奏もこれがいちばん感動的であった。
 今日の演奏に基づいて今後軌道修正があるのかどうかわからないが、CDに録音されるまでにそのあたりがどう解決されてゆくのか興味深い。もっとも、前橋さんの演奏は迫力がほとばしってくるようなところが魅力なので、妙に妥協してほしくない気もするが……。
 ピアノの東氏は「ブラームスをブラームスのように演奏する」技術をしっかりと持っておられ、前橋さんに名前負けせず、自分を主張すべきところはちゃんと主張しておられたのは立派だった。ただ、当日はピアノの蓋を半開にしてあったにもかかわらず、ピアノがちょっと響きすぎ、音量のバランスが失われることがあった、これは先日の高橋慾治さんの演奏会の時にも感じたのだが、ピアノの位置の関係だろうか。
 アンコールははじめに第三番のソナタのアダージオが演奏されたので、それでおしまいかと思っていたら、ブラームスのハンガリー舞曲第一番のヴァイオリン版が演奏され、これはもうけもので
あった。気のせいか、それまでのブラームスのしかつめらしいソナタから解き放たれ、のびのびと弾いておられるように見えた。聴いているほうも気分がすっきりした。
 いずれにしても、はじめてあこがれの前橋さんの演奏にじかに接することができてうれしかった。ルンデのおかげでまた一つ念願がかなった。
【知立市:T. S. 】
●前橋さんの演奏は5年以上前のしらかわホールでのリサイタル、今月5月1日の豊田市コンサートホール以来生で聴くのは3回目です。情熱的なブラームスでいたく感動しました。年を重ねていらっしゃると思いますが演奏を聴くと初々しいというかすごく少女のような若々しさを感じました。心の若さをすごく感じた演奏でテクニックがどうこうということよりもそういう若さを持ち続けていらっしゃるところがすごいと思いました。いつか「魂のヴァイオリニスト」というキャッチフレーズが前橋さんにはあったと思うのですがその名にふさわしい、いやそれ以上の力のこもった演奏で良かったと思います。最初に聴いた時に比べ格段に上達されていると感じ、豊田で聴いたときはびっくりしました。ブラームスも弾く人の考え方1つでどういう色にもなってしまうと思いました。そういう曲を書けるブラームスは勿論偉大だし、そう思わせる演奏ができる前橋さんもすごいと思います。【天白区:H. Y. 】

インデックスへ戻る

ウィーン・ピアノトリオ
2004年6月9日 スタジオ・ルンデ
●(開演前、ひつこくタバコをすっていた演奏者達だからという訳でもありませんが)火をふくようなトリオでした!まさに、大人の旬のプロのトリオというところです。どの曲の演奏も特上でしたが、ラヴェルは、今まで聴いたうちで、LP、CD含めベスト演奏でした!
 アンコール途中で断弦しても、張りかえて演奏してくれたヴァイオリニスト根性!アンコールも含め『エネルギッシュなウィーンの香り』が楽しめました!【緑区:K. I. 】
●二曲目のラヴェル圧倒された。【豊明市:S. Y. 】
●生き生きとした躍動感としっとりとしたウィーン風情緒が同居しているようで素晴らしい!!(ルンデは)室内楽の響きがとても良い。【港区:A. N. 】
●プログラムの一曲目は、本領を発揮し難いものだと思いますが、今日のベートーヴェンはとても心地良かった。遊び心のある曲の良さが軽妙に引き出されていて、最初から楽しめました。ウィットに富んだ会話が弾むように三人が打ち解けていた。淀みないピアノの流れやトリオのバランスの良さが、とても印象深かった(会場の拍手、熱気は、ラヴェル、メンデルスゾーンの方が勝っていたけれど……)。
 アンコールの「南国の薔薇」は、空間移動したかのように、軽やかな気分で音楽に浸ることが出来て幸せでした。【北区:K. A. 】
●楽しく聴かせて頂きました。実は4月にもウィーンから来たトリオをフェスティバル・ホールで聞いたのですが、とても雑な演奏でがっかりしていたのです。あそこは室内楽には不向きなホールと言う事もありますが、演奏者が合わなくてやり直すと言うこともあり、やっぱりルンデに来て良かったと言う感を強くしました。
 バランス的にはピアノが少し強すぎる所もありましたが、難曲のラヴェルを熱演されたあの迫力、真摯な演奏態度、等、楽しいひと時でした。客層も上等です。【宝塚市:すみれの花】

インデックスへ戻る

セルゲイ・ハチャトリアン ヴァイオリン・リサイタル
2004年6月6日 スタジオ・ルンデ
●いきなり大好きなモーツァルトが奏でられ胸にドンと響きました。力強くつややかな音色にうっとりです。県のコンサートホールでも聴いたのですがもう一度間近に聴けて感動です。前半の2曲、耳慣れていたせいもあってとても親しみ深く聴けました。
 後半のバッハ、伸びやかで開放的な音は姿勢よく伸び上がるように演奏されるからでしょうか、印象的でした。
 プロコフィエフ、叙情的な部分と技巧的な部分が耳慣れないながらもうまく溶け合って聴けました。お父さんの伴奏がとても楽しげで巧まずして2人のコンビネーションが絶妙でした。【春日井市:S. Y. 】
●音の伸びとセンスがすばらしかったです。又の機会にブラームスを!!【anonym.】
●歌心と遊び心のある演奏で楽しめた。いつも耳にしている曲と比べると拍子の取り方が独特な感じがしてハラハラもしたがおもしろかった。生真面目なだけでない、音楽の楽しさを味わえた。
 ピアノの響きについて、いつもここでのピアノの印象は重い音で、迫力があるというものです。それに比べ今日は音量もちょうどよく、音もふくよかで、いつもより好感を持ちました。【大治町:K. H. 】
●他もすべて素晴らしい演奏でしたが、今日のリサイタルの圧巻は何といっても“プロコフィエフ:ヴァイオリン・ソナタ ニ長調”でした。プロコフィエフはピアノ曲でも良くお目にかかっていましたが、これだけ音楽的に弾きこなしてくれて私も良くプロコがわかり、一つ勉強になりました。アンコール曲のサラ・サーテの曲でも技巧の素晴らしさが見事に披露されていました。
 後半になって、前半では素晴らしい音の響きだったパートナーの父上のピアノ伴奏が少し活力がなくなったのは苦になりましたが、ベートーヴェンの“春”もよくわかるように理知的に聞かせてくれてこの曲も今までの誰の演奏よりも私にとって印象深いものとなりました。【千種区:H. T. 】
●言葉では言えないほどすごいな〜と思いました!
(ルンデは)きれいなホール。休けいの時のサービスが良かったです!【千種区:N. T. 】
●なんと美しいかつ力強い演奏でしょう!今までこんなヴァイオリンは聴いたことがありません。ピアノのお父様の演奏も実に力がこもっていました。すばらしい父子に拍手、乾杯!今後益々ご活躍を心より祈念いたしております。また来年も来日され、必ずこのスタジオ・ルンデで演奏してください。お待ちいたしております。【東区:Y. S. 】
●後半のプログラムのならびがおもしろかった。古典と同じ楽器で同じ人の演奏とは思えなかった。ルンデはアットホーム。【岐阜市:N. W. 】
●いやはやすごい人! 親子の息の合った演奏は安心して聞く事が出来た。プロコフィエフをやすやすと弾くテクニックもさることながらモーツァルトの K.304 のあのでだしはなんという素晴らしさ。19才の青年にあんな哀愁の音楽が出せるなんて、今日は1万円出してもよいと思った。
【anonym.】
●モーツァルトの切なさ、悲しみ、ベートーヴェンのスケールの大きさ、バッハの気品といずれもよかったが、なんといってもプロコフィエフが圧巻。熟演であった。すこしも楽天的でなく深い音色の美しいこと、とくにこんな美しい低音は初めて。まるでヴァイオリンがチェロのよう。アンコールの「カルメン」からはホセの痛切な恋の歌がきけた。【京都市:M. N. 】
●前半の名曲2曲は、簡単に弾いているようでしたが巧いものでした。後半2曲は、力が入っていました。バッハの音楽が好きそうですね。プロコフィエフは一番素晴らしかったと思います。
 それにしても、ヴァイオリニストが実質リハーサルなし、とは驚きです。近年の旧ソ連系天才若手には、ピアニストにもステージ・マナーのちょっと変な人がいましたが……今日は、リサイタルの出来は良かったので不満はありません。【緑区:K. I. 】
●気分爽快です!プロコフィエフの素晴らしかったこと!!
4月に聴いたA・ハチャトリアンの協奏曲の日から、今日がとても待ち遠しかった。
 後半プログラム最初のバッハが、瑞々しくとても美しかったのに、プロコフィエフが始まると、それが助走のように感じられた程。終始変わらぬ快音。特に哀愁を帯びた音色での表現力は際立って優れていて惚れ惚れします。彼の集中力は、聴く者の集中力をもグイグイ引き出す力があると思う。この瞬間に居合わせることの喜びをヒシヒシと感じながらも、ルンデのオヤジさんの発言――ピアノの蓋は全開のほうが……――を思い出していた。音色が籠ったようには感じられず不満はなかったけれど、全開賛成派としては自動開閉リモコンがあったら聴き比べてみたいところだった。
 これからの時代を担っていく19歳の青年の演奏を聴きながら、10年、20年先、もっと遠い先、音楽を取巻く環境はどのように変化していくのだろうかと思いを廻らせていた。今後の流れを方向付けていくのは、現在の受容の在り方がとても重要なのではないでしょうか。「生」の音楽に熱心に耳を傾ける。今私に出来ることはただそれだけかもしれない。しかし、それが極々微かな力にでも成り得ることを願います。
 セルゲイ青年はあるインタビューで、「2006年の生誕100年に向けて、ショスタコーヴィチを勉強中」と語っていた。是非その機会が訪れますように!
 「音楽(ピアノ)一家にもうピアニストはいらない」という理由からヴァイオリンが選ばれたそうで、弦好きの私は心から有難うと言いたい。【北区:K. A. 】
●さすがに今回は度肝を抜かれました。前回来名時のコンチェルトの評判が高かったので期待はしていたのですが、想像していた以上の素晴しさに圧倒されました。独特の節回しで少々やりすぎかなという所もありましたが、同年代の日本の奏者にはない魅力があり、特にプロコフィエフは、これまで聴いた演奏の中でも最高と断言できます。
 ピアノとヴァイオリンのバランスはちょうど良かったと思いますが、バッハはもう少し音量控えめの方が、すっきりした感じになったのではないかと思いました。【東区:J. I. 】

インデックスへ戻る

ボロメーオ・ストリング・クァルテット
2004年5月27日 スタジオ・ルンデ
●全体を通して特にゴリホフのテネブレでこのクァルテットは音の厚みを聴かせるグループだと感じました。厚みの元であろう低弦が女性たちというのも「いとをかし」でした。
 テネブレは当然初体験ですが、新しい作品と聞いていたので、ヒーッ、ピーッと鳴らなきゃいいけれどと、内心びくびく。でも実際には、「ああ、アヴェ・マリアみたい」と安らかに、そしていつしか涙をぬぐいながら聴いていました。最近作曲されたものならば、これは、きっと、現在の戦いの世界を憂い、その地の人々の悲惨さを思い、平和を祈って書かれたものに違いない。あのテロと、それに続いて戦争を始めてしまった、人類という愚かなややこしい存在を哀れみ嘆き、音楽家としてできることは――という問いへの答えがこの祈りの音楽なのだと、私は確信していました。ルンデにしては珍しく解説を入れたという話だけれど、そこにどう書かれていようと、私はこう主張するだけと思っていました。
 その時私が頭に描いたのは、ドイツはフォルカッハ、ぶどう畑の中にポツンと浮かんだ教会の、天井から吊りさげられたリーメンシュナイダーの傑作「ロザリオの祈りを唱える聖母」が、傾く日の光をいっぱいに受けていた光景でした。神も仏も信じているわけではないけれど、あの時は本当に素直な敬虔な気持ちで手を組みたかった――テネブレを聴いた気持ちはあの時と同じでした。
 あとで解説を読んでみたら、テネブレは「暗闇」を意味するラテン語とのこと。光いっぱいの「聖母」とは全く違いましたが、曲の生まれた経緯は私の想像に遠くなかったようです。心の奥深くに届いた曲、そして演奏でした。【東区:M. S. 】
●ゴリホフの「テネブレ」は、曲の全体像が掴みやすかった。帰宅してから目を通した「テネブレ」の曲目解説を読んでとても嬉しく、開演前に目を通さなくてよかったと思った。というのも、作曲者が語っている「内面からそして距離を持って見つめられた痛み」の音楽が、演奏を聴きながら私が描いた情景と重なっていたから。個が苦境の中に佇みながらも遠くを見据えている感じで、遠近の特に「遠」を意識しながら聴いていた。演奏を聴いている間、遠くを見据えること、本質を見抜くことの重要性を説かれているように感じていた。音楽を鑑賞することの楽しみの一つは、対象を通して自己と向き合うことにもあるのだと思う。
 ボロメーオSQの演奏は、『かみそりのように鋭い強烈さ』の評から想像していたものと随分違っていたように感じた。どちらかといえば彼らの演奏は、肉声の語りを意識しているようで、ところどころ独特な小節が利いていて、イメージしていたものとギャップがあり、それがかえって面白くもあった。
 今日は色々な角度から音楽を楽しむことが出来ました。【北区:K. .A 】
●曲への集中力と音の「厚み」を強く感じました。評にいう「心臓が凍る」というのとはちょっと違うように思いました。むしろ、もっと温かいものを感じました。ゴリホフの曲は、弦楽四重奏の新境地を開くような曲と思いました。いい響きでした!【緑区:K. I. 】
●ボロメーオSQ、すばらしかった。今日のブラームス、ヒゲをそっいハイパワーのスポーツカーに乗っていて、爽快でした。ブラームスは圧巻。やはりヨーロッパの伝統のすばらしさですね。テネブレもおもしかった。【N. T. 】
●祈りの音を聞いた。心が洗われる思いだった。エネルギーに満ちた演奏でありながら静かに黙想する時が得られた喜びをどう例えたらいいのか。本当にいいルンデの企画に感謝。【守山区:N. N. 】
●エネルギッシュなグループだ。ここまで来ると好みの問題だが、やはり最近アメリカ出身のグループのアプローチとはどうも趣味が合わないというのを感じる。【K. T. 】
●合奏団というものを色分けしてみると大きく二つになると思う。ひとつは合奏主体で、個人個人は完全に全体の一部になりきっている場合、もうひとっは、基本的な取り決めの中で個人個人がかなり自由に自分の音楽を展開している場合である。そしてこの団体は、年齢的にはまだ若いものの、どうも後者であるように思われた。もちろん合奏に当たっての基本的な事項、つまり、合わせのタイミング、楽器間の音のバランス、テンポの設定とその伸び縮み、基本となる感情表現スタイル、更に細かく言えば音程の合わせ方などについては、互いに納得するまでリハーサルをやっていることは十分にわかるのだが、その枠の中でかなり自由に自己を主張しているのである。これは最近の室内楽演奏の一つの傾向であるように思うが、この団体でもそれがかなり感じられ、まあいってみれば丁々発止と四人が切り結んでいるような感じを受けることすらあった。これはかなりスリル満点で、聴衆へのアピール度ということからしてもなかなかのものであった。当日演奏されたブラームスの弦楽四重奏曲は、弦楽四重奏曲の中では演奏されることがあまり多くない。従って、いわゆる「定番」の演奏というものが存在しない。この団体がどうしてこれを選んだのかについては、ご本人たちに聞いてみないと本当のことはわからないが、私から見ると、このような、演奏についての定番がなく、しかも本来はかなり渋い音楽を若い情熱で音にするとどうなるかという試みをしているように思えた。休憩時間にちょっと鈴木さんとも話したのだが、当日の演奏はブラームス自身が考えていたようなものではなかったのかもしれない。作品番号からいっても円熟期の作品だし、曲の作り方にしてもかなり凝ったことをしているので、いわゆる「ブラームスらしい」演奏をすればそれはそれで一つの形だし、聴衆も納得するだろう。しかしこの団体はそこにあえて挑戦し、この曲に違った面から光を当ててみようとしたのではないだろうか。これについては賛否両論あるだろうが、その意欲はおおいに買える。
 四人の中では、ヴィオラのモトブチさんがかなり目立っていた。ブラームスの室内楽曲にはヴィオラの目立つものが多いが、この日演奏された二曲にもあちこちにヴィオラの聞かせどころがあり、モトブチさんが全身全霊を込めて弾くヴィオラの音が際立っていた。特に第三番の第三楽章はアジタートと指定されていることもあってヴィオラが完全に他の三つの楽器を食ってしまっていた。その他の部分でもヴィオラが主導権をとって音楽が進行するところがずいぶんあり、同じヴィオラ屋としてはちょっと「痛快」であった。それに反し、チェロはこの日演奏された曲に関しては出番があまりなく、ちょっとキムさんが気の毒であった。音量的にも、がんばって弾いている割には音が届いてこず、ちょっともどかしかった、もっともこれは多分に曲の作り方によるのでキムさんの責任ではない。第一ヴァイオリンのキッチンさんは、くせのない弾き方をする人である。第二ヴァイオリンのフェドケンフォイヤーさんは自分の役割をよくわきまえた演奏をした。
 ゴリホフの「テネプレ」についてはもちろんはじめて聞いたが、解説を読んでから聞いたせいか、「祈り」の要素が色濃く出た作品だと思った。一つ楽器が旋律を奏し、他の楽器がそっと伴奏するという部分が多かったが、旋律はとても美しく、特に最後のほうで第一ヴァイオリンが奏した旋律は身震いするほど美しかった。奏法としては、わざと弦の振動を止めて引っかいたような音を出すところや、ノン・ビブラートで意図的に無表情に演奏されるところがあり、いろんな工夫がされている(なお、第二ヴァイオリンの調弦がちょっと特殊だったようだ)。若い演奏家というのはとにかく失敗を恐れず意欲的にいろんなことに挑戦しようとする気概が十分で、それが聴いているほうに伝わってくるので、聴いていて爽快感がある。名声の確立している人の悠揚せまらない演奏もいいが、若い人の演奏には前向きの姿勢があり、それが伝わってきてうれしい。これは芸術を構成する大切な要素の一つではないかと思う。【知立市:T. S. 】
●熱いブラームスで驚いた。ブラームスは一言でいうと(古典派+ロマン派)×1/2という人たちだと思うが今日の演奏はロマン派が強調されてできた演奏かと推測する。若いエネルギーに満ち溢れた演奏で好感がもてました。ブラームスでこんなに熱く激しくなれるのはすごいと思いました。ゴリホフという人の『テネブレ』という曲はバーバーの『弦楽のためのアダージョ』のように弦楽合奏版として編曲して演奏した方が、平和への祈りや戦争に対する怒りテロに対する怒りがもっとよく伝わるし楽曲そのものももっと魅力が伝わるようになるのではないかと思います。西洋人2人と韓国人1人、日本人1人という多国籍なメンバーですがその熱いエネルギーだけは大切にされるとよいと思います。【名東区:H. Y. 】

インデックスへ戻る

児玉麻里 ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ全曲演奏第2回
2004年5月16日 スタジオ・ルンデ
●素晴しい演奏だった。ソナタ第16番は可憐な感じだったが、一楽章のリズムの弾みが印象的。"テンペスト"は標準的な感じ。ソナタ第18番は一つの曲の中にスケルツォとメヌエットを持ち、ユーモラスな構成をみせてこれもベートーベンらしい「発明」だと思わせる。
 後半の"テレーゼ"は、左手の活躍がめざましく、リズムも三連音符などを効果的に用いて、熟練の極みである。
 さて、当日の目玉である"熱情"であるが、曲のカン所をおさえて、よく考え抜かれた演奏だったと思う。一楽章が抜群に良かった。この時代のKlavierはピアノフォルテという名前が定着し掛かっている時期で強弱の差がベートーベンの興味を最もひいたようだ。デュナミークの点で児玉さんは男勝りの迫力をみせてさすがブレンデルの弟子だけあって、曲の核心ををついている。終楽章のコーダはちょっと疲れて、終わったあとも挨拶もやや険しい顔つきだったが、この曲の手強さを思うと同情する。しかし全く梅雨空と不景気を吹きとばすような快演でしたよ。【中区:T. F. 】
●はぎれよく熱情的な演奏で元気になりました。――追伸、演奏が終わった後の笑顔がとてもきれいでした。
(ルンデは)演奏者のすぐそばで聴ける室内楽のホールそのものです。音が身体の中を通っていきます。【広島県:N. T. 】
●ベートーヴェンのピアノソナタばかりこんなに聴かせていただき幸せな時間でした。熱情すごい迫力でした。ありがとうございました。【小牧市:H. S. 】
●クールなお顔から紡ぎ出される豊かな音の数々にすっかり魅入られました。力強さと優しさの交ざり合った音のつややかさに圧倒されました。前半作品31−3のリズム感あふれる強弱に感動しました。後半の2曲、ことに情熱、自分の体感に合った音がほとばしり出て飛び込んでくる心地よさですっかり聴き入りました。【春日井市:S. Y. 】
●ピアノをフルパワーでならしてもひびきすぎず音がすっきりしている、ルンデの不思議な空間ですね。【小坂井町:H. I. 】
●麻里様の演奏は、とても力強くベートーヴェンの心が伝わってきます。ベートーヴェンの心の優しい部分もとても大事に表現されているので、すばらしいと思いました。ピアニストがホールの広さを感じながら今回はルンデでの音色や音の出し方を考えているのがよくわかります。【熱田区:Y. T. 】
●2回目なので、少し慣れてきました。前半3曲、構成力というのでしょうか、麻里さんのピアノの独自性が少し分かってきた気がします。Op.31の1では第2楽章、Op.31の2では第1、第3楽章、Op.31の3では第4楽章の演奏に特にひかれました。後半2曲も、「麻里節」がとても面白かったです。多分非常に現代的なベートーヴェンなのでしょうが、「テンペスト」、「熱情」を今までのピアニストと全然異った感じで聴けたのは大収穫でした!「熱情」の第1楽章と第2楽章の対比がこれだけ鮮やかなのも珍らしいと思いました。【緑区:K. I. 】
●世界的に活躍されている児玉さんを間近に拝聴させて頂き感激です。デリケート&ダイナミック!! 超名演のベートーヴェンと思います。【港区:A. N. 】
●前回とは、又、演奏がちがってたかんじでした。ベートーヴェンのForteの音、吸収できた気がしました。又、次回も伺う予定してます。【春日井市:Y. O. 】
●児玉麻里さんの演奏は名フィルとピアノ協奏曲をされた名古屋銀行の招待会以来2回目です。児玉桃さんのお姉さんとうかがっていますがやっぱりお姉さんだなあという風格と苦労を感じました。
 さて演奏ですが穏やかな表情のベートーヴェンでした。おっとりしたというと悪く聴こえそうですがそうではなくてこの穏やかなおっとりした感じが児玉麻里さんの持ち味なのだと思います。しかし、私の好みからいうと「情熱」などは特にそうなのですがもっとロマン派的な烈しい演奏が好きです。前期のソナタであればモーツァルトのように古典派的演奏をしなければならないかもしれませんが中期頃の作品だと思うのでもっと烈しく演奏した方がいいのではないかと思いました。ただこれは私の好みなのでそれがいいのかどうか検証が必要かもしれません。11月頃続きとされるということなのでそのきれいなお姿を拝見拝聴しに行きたいと思います。【天白区:H. Y. 】
●この日の5曲は、年代的には、ベートーヴェンの中期の入口から出口にかけて、ということになるのでしょうか。先回の21番、22番と合わせて、(19・20番は、もっと初期の作品らしいので、これを勘定にいれないとすれば)ピアノ・ソナタとしては、思いの他数の少ない中期の作品、つまりは、「運命」「英雄」「皇帝」「ラズモフスキー」「クロイツエル」のように、ベートーヴェンらしい作品が作曲された時期の作品としては、この2回の演奏会で網羅されたことになります。
 とはいえ、この2回の演奏会の印象はかなり異なるものがあるのも事実です。
 今回の演奏会では、時として、(特に16番、18番の速いパッセージなどを中心に)先回のような音の輝きの持つ充実感、音の連なりのもたらす清涼感に、やや不足する印象があったのも事実です。
 もっとも、それは、「中期の曲」ということで、「完成度」ということを主眼に置いた見方であって、(「ワルトシュタイン」以外の)ピアノ・ソナタの場合、事情はかなり異なっていることも考慮に入れるべきかもしれません。
 今回弾かれた5曲は、いずれの曲においても、第一楽章の主題が、一度に全貌を現すのではなく、断片的に姿を垣間見せながら、曲の内部にはいってゆくという作りになっている点で何かしら共通したものがあるように思います。いずれも、序奏を伴わないながら、ベートーヴェンのトレードマークのような、第5交響曲冒頭のように、決然と最初に現れたモチーフで全部を形成するというよりも、もう少し手探り状態で曲が始まっています。言い換えれば、「一部の隙もない完成品」としての作品ではなく、曲作りの過程、そこに込めようとした作曲者の思考の動きまでもいくらかは見て取れるような、絵画でいえば筆のタッチを残したままの作品として提示されているようなものです。
 この日の児玉さんの演奏では各曲のそんな性格がかなり強く浮き彫りになっており、あるいはそれゆえにか、弾きこみが足りないのでは、と思わせる箇所もところどころありましたが、その代わりに、たとえば第16番の第2楽章など、叙情のきらめきが印象的な旋律線とは相反するように、左手のリズムがささくれ立った感情を隠そうともしないあたり、いかにも若いベートーヴェンの心の葛藤が聴こえてくるような感がありました。
 また、この日の演奏で特徴的だったのは、曲の中で、(これも中期ベートーヴェンの典型である)強烈な対比を形成する部分(顕著なのは、第17番第1楽章の展開部冒頭、同じく第3楽章の第2主題を用意する直前の第1主題の回帰、或いは第23番第1楽章のコーダ・・・いずれも、その前の部分に対して極端に激した表情付けをする演奏が通例です。)で、あえてそれを目立たせず、曲の途中にいくつかのクライマックスを作ることを意図的に避けているようでもありました。これも、いったん完成した曲に対して盛り上げを作ってゆくのであればこうした節目が必要なのでしょうが、そもそもの開始から一気呵成に曲を始めず、徐々に曲の全貌を見せてゆくような今日の演奏では、無用な表情付けととらえたのでしょうか。
 とこう書いても、演奏のすべてで停滞が多かったということではなく、むしろ終楽章は節目を少なくした分流れの良さが出ており、あたかも曲が進むにつれて作曲者の筆の動きがよどみなくなったように、快い運動性に身を任せることができました。とりわけ、第17番の第3楽章は、よく耳にする有名な主題自体は流麗な動きをもっているようで、それを用いて長丁場を持たせるだけあって、展開には念がいっており、くどく演奏すればいくらでもくどくなる(実はアラウのような、「これでもか」といわんばかりの演奏も大好きですが)ところを、アラベスク文様のように単位としての文様は明確にありながらそれぞれのつながりを際立たせることなくあたかもひと連なりのように間断なく弾き切る(これはハスキル流?)というのもいいですね。それでいて、局の終わりで冒頭主題に装飾音が加わった箇所に至って、他の演奏よりもはっきりとクライマックスを意識したのは、これは即興性が顔を出しているようで面白い。
 第23番も、どちらかというと沈んだ色合いが強かったため、いくつものクライマックスを経て、最後の最後で大爆発するという、曲の最終局面に最大の効果を集約させ、聴き手をも興奮の極に追い込むいかにも演奏会向けの演奏(スタジオ録音ではありますが、リヒテル壮年期の演奏録音を聴いてどれだけ興奮し、かつ聴き終えて一種の虚脱感すら覚えたことでしょうか。)を期待すると少々肩透かしをくらうようなところもありました。一方では、そうした演奏でときとして陥りがちな、緩徐楽章が「熱情」的な両端楽章の息抜き、引き立て役にとどまることなく、ある意味で単純なつくりの変奏形式の、次第にきらびやかになる音の動きの陰に、主題のどこか重苦しい動きをよく聴き取ることができました。それだけに、(これは完全に好みの問題かもしれませんが)、このほてりの後で第24番を聴き、作曲者のまた違った一面である、細やかな心の移ろい、翳りと晴朗さがない交ぜになった色合いをもっと留めたかったという気がしました。(先回も22番が21番の前に来ていましたが、第22番であれば、どちらかというと「筆のすさび」みたいな、間奏曲的なところがあるのに対し、24番は、はっきりと違う世界を志向し、その先を予感させる広がりがあります。)
 第23番の後にさらに1曲というのは、弾く方のしんどさを全く感じていない無神経なものでしょうし、演奏会の正規の最終プログラムではなくアンコールのような感じもするし、と考えてみれば、このような意見は、ごく特殊なものにすぎないのでしょう。ただ、演奏会全体が、ある意味で中期のベートーヴェンらしからぬ、(ピアノ・ソナタのようなソロの作品であって初めて可能なことですが)いろいろ試してみながら、時には回り道もあって思うところにたどり着こうとしている、さらには思うところあってそこから一歩を踏み出そうとしている、そんな作曲者の存在を感じさせるような演奏会であったからこそ、ないものねだりもしてみたくなるのです。【桑名市:M. H. 】

インデックスへ戻る

ロナルド・ブラウディガム ピアノ・リサイタル
2004年4月25日 スタジオ・ルンデ
●男性ピアニストらしい雄渾さと、音楽家らしい繊細さを合せ持った素晴らしい人でした!
 前半のハイドン、モーツァルト、後半のメンデルスゾーン、シューマン、アンコールのショパン等も美しい演奏でした。(当方体調不充分は残念でしたが)楽しませてもらいました!【緑区:K. I. 】
●ロナルドさんのモーツァルト本当に良かったです。シューマンでは、ロナルドさんの大きな手(?)から、やわらかな美しい音色が出てくるのを不思議な感じで聴きました。【広島県:N. T. 】
●端正なハイドンと骨太なモーツァルト……こういう「古典」ものは、申し訳ないけれどどうも眠くなるのが通例だが、ブラウティガム氏のそれは全然違った。演奏者のウデは無論だが、作品が同じでも演奏は十人十色だから面白いと思う。つまり食材は同じでも、料理人の工夫次第で様々な賞味の仕方が生まれるのだ。だから、特に生演奏では「斯くあるべし」とこだわるより、「こんなのもあり、か」と新しい発見(体験?)を楽しむ方を取りたくなる。ほとんどエチュード化してしまった感のあるモーツァルトのソナタが、こんなに魅力的な音楽だとは……。
 後半、美しいメンデルスゾーンに流麗なシューマン……さすが、と言おうか、兎に角ピアノの面白さを堪能しました。
 いつものことながら、こんなのを若いピアノ弾きたちに是非聴いて貰いたかった!
 アンコールのショパンは、これまた絶品――静かな湖面を渡る漣の様な、ほのかな音弧が得も言われぬ。ピアノ・コントロールの上手さに脱帽。そして最後のガーシュイン:“アイ・ガット・リズム”が、一転ノリノリで、これまた結構でした。
 大満足の日曜日。感謝。 【anonym.】 

インデックスへ戻る

堀米ゆず子&児玉 桃 モーツァルト・ツィクルス2
2004年4月4日 スタジオ・ルンデ
●堀米ゆず子さんの力強い演奏はいつ聴いても感銘をうける。ピアノとの相性もよく、今回は前回(前年Vol.1)よりも内容豊かに感じた。
(ルンデは)観客の方のマナーもよく、雰囲気がよい。【大阪府:T. I. 】
●堀米さんの明解で歌うように表情豊かでした。特に後半、若い児玉さんが対等に印象深い演奏でした。
(ルンデは)お茶のサービスも含めアットホームな雰囲気都会にあって息づかいが聞こえる会場は貴重です。ご発展を祈っています。【東京都:T. Y. 】
●前回のアンコールの一つ K.304、今回全曲きけて楽しかったです。ブルノ・カニーノと S. アッカルドのデュオのCD全集をこの一年、特にきいてきましたので、それぞれの曲への期待があり曲の進行と共に思い出されます。本日の K.379 が私にはききものでした。来年も楽しみにしています。【S. M. 】
●次回の演奏会が楽しみです。二人のコンビで、フォーレやバルトークなども聴きたいです。【稲沢市:S. T.】
●前回もでしたが、堀米さんのモーツァルトは男性的で、なよなよしていないのが、とても良い。また次回も楽しみです。有名な曲もいいですが、有名でない曲がまた良いです。【昭和区:N. T. 】
●もう何十年もやってるかのような良く息の合ったデュオですね。ヴァイオリン・ソナタはつまらないと思ってましたが、聞き甲斐のあるデュオだと思います。
(ルンデは)大阪にもこのようなホールがありますが、出演者のレベルがこっち(ルンデさん)の方がずっと高い(お世辞じゃなくって)【東大阪市:N. K. 】
●二人の息の合った演奏に感動した。いつ迄も聴いていたい! 来年の4/3日を期待しています。【千種区:A. T. 】
●前半では第28番ホ短調が、曲も好きだし、演奏もとても良いように思いました。はずむようなピアノとじっくり聴かせるヴァイオリンのかけ合いが見事でした。
 後半は、アンコールも含め素晴らしいモーツァルトでした!「第35番ト長調」はヴァイオリン伴奏付き…の曲かと思いますが、詩情あふれる桃さんのピアノが生きていました。いつくしむようにヴァイオリンを弾かれる堀米さんのモーツァルト、素晴らしいソナタでした【緑区:K. I. 】
●堀米さんも児玉さんもお姿も生演奏も初めてです。こんなに人生を感じさせられるモーツァルトは久し振りのような気がします。桃さんもかなり気を使って弾いていらっしゃるようで伴奏のピアノにも好感がもてる演奏でした。それにしても客席は大盛況でした。プログラムの終わりに行く程ヴァイオリンが冴えてきました。後ろまで音が飛んでくるようになったので気持ち良かったです。【天白区:H. Y. 】
●花冷えのする雨のコンサートにかかわらず、大勢だったのが嬉しかったです。そんな中さわやかできれのいい、ヴァイオリンとピアノに堪能しました。休憩後の35番がことによかったと思います。モーツァルトの軽やかさの中に落ちついた重量感があり、しっとりと聴けました。大好きなモーツァルトの曲を思い出しながら雨上がりの中気持ち明かるく帰路につけました。Vol.3もぜひ参加したいと思います。
(ルンデは)今日で3回目ですが、身近に演奏が聴けて親しみがわきます。休憩のティー・タイムなど家族的でリラックスできます。とても雰囲気がいいと思います。【春日井市:S. Y. 】
●昨年の第一回も素晴らしい演奏でしたが、今回はそれ以上に良かったです。譜面が一見簡単そうに見える曲ほど、奏者の音楽性が正直に出てしまうもので、ましてやモーツァルトとなると相当な力量が要求される訳ですが、さすがにお二人とも一流奏者だと今更ながら感動しました。
 どの曲も素晴らしかったのですが、最後の42番を弾いているとの堀米さんの活き活きとした表情が特に印象に残っています。
 弦楽器が好きなのでどうしてもヴァイオリンに目が行ってしまうのですが、児玉さんのピアノも素敵でした。お姉さんの麻里さんとは音色もかなり違っていて、麻里さんがベートーヴェン、桃さんがモーツァルトというのも何となく分かるような気がするな〜なんて思いながら聴いていました。来年の第三回が今から楽しみです。【千種区:J. I. 】
●昨年の春以来、たまたま、堀米さんと児玉桃さんのモーツァルトのデュオ、児玉麻里さんのベートーヴェンの、それぞれ第一回を聴いてしまったので、これはえらいことになって児玉家とは何のゆかりはないが、この姉妹のシリーズ、全部聴いてしまおうという気分になった。
 今日はよく聴くチャンスがあるK.304の小さなソナタも良かったが、K.526のデュオはさすがモーツァルト晩年の充実を物語る素晴しい曲で、特に2楽章以後の演奏は、きらめくような細かい音符の多いピアノなど完璧であった。
 モーツァルトについて思ったことは、音楽史上、まれに見るメロディの美しい人で、この天才は他の作曲家と比較しようがない。二人のアーチストは、この雰囲気作りに成功した。ブラボー……。【中区:T. F. 】
●早いもので前回からもう一年がたって、お二入による二回目のツィクルスということになった。例によって、手持ちのCDからこの日演奏される五曲をMDに拾い出し、三回ほど聴いてから出かけた。
 モーツァルトのヴァイオリン・ソナタは(初期のものは特にそうだが)ビアノの比重が大きい。従ってピアノとヴァイオリンのバランスをどう取るかというのが一つのポイントである。特に、録音の場合と違ってナマ演奏では音量の細工ができないから、演奏者に細心の注意が要求される。しかし、結論的にいえば、この日のお二人のバランスは絶妙であった。キャリアからして、どうしても堀米さんがリードするというスタイルにならざるを得ないが、児玉さんは堀米さんに対して遠慮しているという雰囲気はまったくなく、それでいて実に自黙にバランスを作っておられた。これはやさしいようでなかなかできないことである。とても気持ちよく音楽が流れてきた。
 堀米さんのヴァイオリンはモーツァルトの音楽の持っているさまざまなすばらしい面をなるべく素直に引き出そうとされているかのようであった。まさに音楽が紡ぎだされてくる感じで、心地よい音の流れにただ黙って全身を浸らせておけばそれですべてよしという感じであった。余談になるが、この日のお二人のコスチュームは実に飾り気のないもので、しかも堀米さんはかかとの低い靴を履いておられた。このあたりもお二人のこの日の演奏に対する姿勢がうかがえるようであった。
 この日の五曲の中ではやはり前半の最後に演奏されたホ短調の曲が印象的であった。実はこの曲は自分がとても好きな曲なので、特に印象付けられたということかも知れず、他のお客様は別の感じをもたれたかもしれないが、短調ということもあって堀米さんも一段と心を込めて演奏されていたように思えた。堀来さんクラスの人が心を込めて演奏されると、やはりそのオーラが痛いほど伝わってくる。こめ曲で休憩になったわけだが、その余韻が強烈で、しばらく席に座っていたぐらいである。
 前回のコンサートでも感じたことであるが、このお二人の演奏はとにかく雰囲気が暖かい。モーツァルトの音楽は、まれに悲劇的なものがあるが(たとえばこの日のホ短調の曲)、総じていえば暖かく優美なものが多いので、こういう雰囲気は基本的な要件なのではないだろうか。そしてそれはやはり演奏家の持って生まれたものが大きく作用するのだと思う。このお二人がモーツァルトの連続演奏をしようとお考えになった動機はどこにあるのかしらないが、まさにこのお二人にぴったりの企画であった。次は来年の四月ということであるが、実に待ち遠しい気がする。【知立市:T. S. 】

インデックスへ戻る

御喜美江&崎元 譲 Fantastic Reeds
2004年3月21日 スタジオ・ルンデ
●このお二人の演奏はそれぞれ単独には聴いたことがあるが、デュオは初めてであった。そして感じたのは、それぞれの楽器単独でも十分に鑑賞に堪えるが、デュオになるとその魅力が倍以上になるということであった。たしかにコンサートの副題にもあるように、どちらもリード楽器なので、相性はいいわけである。この日のプログラムも、最初と最後がデュオで、間にそれぞれの楽器のソロが入るというもので、まさにソロとデュオの両方のすばらしさが楽しめた。
 まずデュオでバッハとヘンデルが演奏された。演奏会の最籾をこういったクラシックな曲ではじめることはよくあり、これはいわば指慣らし(口慣らし?)かとも思ったが、考え方によっては、こういった技巧的に単純な曲、しかももともとは別の楽器のために作られた曲に新しい命を吹き込むというのは意外と難しいことかも知れず、お二人の芸域の広さを見せてもらった。
 そしてハーモニカ・ソロで三曲演奏されたが、いずれも(あえていえば)ハーモニカの絢燗たる技巧が存分に発揮された曲で、休息のあとでの解説を聞くと、舌を上手に使っていろんなことをしているらしいが、重音がしょっちゅう出てくるし、ひとつの音を伸ばしながらそこに他のモチーフが乗っかってくるようなところもあり、まさに魔法のようであった。曲については、ライリー氏の曲とスタインコグラー氏の曲はいかにもハーモニカならではの軽快ですっきりした感じ。美野氏の「雅月」は崎元さん自身も言っておられたように、ところどころに日本の味が入っていて面自かった。
 休憩のあとはまず御喜さんのソロで、ショスタコヴィッチ「舞踏の回転木馬」からであるが、御喜さんは最初の「ウェルカム・ソング」を弾きながら入ってこられた。そしてあとの四曲は舞台で演奏されたわけだが、これはまた鍵盤の上を指が目にも留まらぬ速さで走り回り、左手の動きも実にめまぐるしく、まさに名人芸で、ぽう然として聴いて(見て)いるうちに終わってしまった。そして一転してデニソフの「暗簡から光へ」で、これは御喜さん自身が「これは暗い音楽ですから」と解説されたが、たしかに最初から最後までくぐもったうめき声が悶々と露こえてくるようで、思わず座りなおしたのであった(場内の照明も暗くなった)。こういう曲を演奏会で演奏しようというのはかなり勇気のいることだと思うが、こういった、常に新しい分野に挑戦しようという意気込みこそが一流の萎術家の条件なのだと思う。
 最後のピアソラの「忘却」と、三宅榛名の「ポエム・ハーモニカ」は、まさにそれまで聞かせてもらったこの二つの楽器のいろんな面の総括という感じで、このあたりになってくるともうすっかりお二人のペースにこちらも巻き込まれてしまい、技巧がどうのこうのということを忘れて音楽に引き込まれるのであった。
 アンコールは「ラ・クンパルシータjと「草競馬」を、まさにアンコール・ピースらしく、軽妙に聞かせてもらってすっかり満足した。  とても楽しい演奏会であった。そしてその一番の原因はお二人とも音楽性や技巧の点ではまさに世界の第一流でありながら、常に謙虚さを失わず、しかも人柄がすばらしいということである。これはすぐれた芸術家であるための最大の要件で、それを見事に備えておられるお二人にはまったく敬服の他はない。しかもお二人とも聴衆へのサービスということを十分に心得ておられたのも立派なことだったと思う。  自分は演奏会へ行ったときにCDを買うことはまずないのだが、この日はお二人のデュオのすばらしさにすっかり魅せられ、最新盤「ポエム・ハーモニカ」を買ってきて、家に帰って早速聴いてみた。まさにこの日の演奏会の雰囲気が再現されてきてうれしくなったのであった。【知立市:T. S. 】
●選曲がおもしろく、楽しめました。御喜美江さんの演奏をスタジオ・ルンデできくのは16〜7年ぶりですが、あのように重い楽器を軽々と演奏されるのには驚きです。【春日井市:M. F. 】
●聴きに来て良かった。アコーディオンとハーモニカの表現力の豊かさに驚きました。一番面白かったのは、ショスタコーヴィチとピアソラの曲でしたが、デニゾフの大曲は異色の選曲でこちらも素晴らしかった。今迄、アコーディオンとハーモニカはどちらかというと敬遠していましたが、実際に聴いてみないと分からないものですね。【熱田区:D. H. 】
●とてもよかった! 以前、美江さんのアコーディオンを聴き、大変な感動を覚えましたので、今日は何があっても来ようと思っていました。CDを何度も何度も聴きました。
 崎元さんのハーモニカも一度お聴きしたいと思って居りましたので、今日は難度の高さ、演奏を可能にしてみえることに又、感動!又、CDを何度もお聴きすることになると思います。
 本当にパワーが与えられました。ありがとうございました! 又の機会を楽しみにしています。【日進市:S. T. 】
●御喜さんのファンでして、こんな間近で聞く事が出来てとても幸せです。来年も、もし来て頂けるなら足運ばせて頂きます。【中島郡:H. H. 】
●スタインコグラー初演、デニゾフ曲以外は、CDで何度も聴いていますが、やはり生はダイナミックレンジも違いますし、奏法を見ながらの鑑賞は格別でした! お二人の素晴らしい音楽です! 初めての曲も、デニゾフも、最初は暗くはありましたが十分に楽しめました。二つのリード楽器の共演に接したのは初の経験ですが、やはり生は素晴らしかったです。【千種区:K. I. 】
●ポピュラーな曲と新しい曲、ハーモニカならではの曲、アコーディオンならではの曲、どれも素晴らしかったし、演奏曲の選曲もよかったです。「雅月」はハーモニカの特性を活かし邦楽の雰囲気を感じさせる良い曲と思いました。ショスタコーヴィッチの曲もアコーディオンの良さを十分味わわせるもので感動しました。
 (ルンデは)いつもアットホームで、演奏家の方と身近なところで聴かせて頂き有難うございます。【緑区:A. T. 】
●1.主よ…この曲好きだけどハーモニカが可哀そう。2.ソナタト長調…この方がハーモニカの音色がうれしい。3.ライリー…聞きなれた曲、新鮮な音色でいい。4.スタイン…むずかしそう。練習曲のよう。これこなせば…。5.美野春樹…みやびの京を思わせるしっとりとした曲。6.ショスタ…コーディオンがピッタリの音色。風景が頭に浮かぶ。7.デニゾフ…ならくの底に引きずり込まれそう。スポットライトの御喜さんの姿が曲にピッタリ。9.ポエム…こんな音楽があるんだと。いい曲です。
 先回聞いてから19年もなるんですね。久しぶりに、いい音色、ありがとうございました。【瑞穂区:Y. T. 】
●初めてのルンデのコンサートには感激いたしました。いつも崎元先生に御指導して頂いて居りますが、今日は、唯、吹いて、指を使ってと、曲を吹いて居りましたが、体の中からの強い音楽性をとても感ずる事が出来ました。
 御喜先生のコンサートは初めて伺いましたが、素晴らしい技術の上にやはり体からの音楽性をヒシヒシと感じまして、東京から参加出来て、大きなよろこびがおみやげになりました。
 (ルンデは)音響もよく、とてもよいコンサートだったと思いました。【東京都:F. M. 】
●お二方ともルンデの常連演奏家ですので、これまでに何回かデュオで演奏されていると思っていたのですが、19年ぶりというのは意外でした。
 プログラムの中では、美野春樹「雅月」、デニソフ「暗闇から光りへ」が素晴らしかったです。デニソフについて、御喜さんが「音楽には暗いのもあるということで……」と仰っていましたが、作曲者の精神状態がそのまま反映されているような曲で、微かに見える光も絶望の暗闇の中に吸い込まれていってしまった様に感じました。
 デュオはどの曲も良かったですが、ピアソラが最高でした。ピアソラというとvnとバンドネオンかpfという組み合わせで聴くことが多いと思うのですが、お二人の演奏を聴いているとまるでアコーディオンとハーモニカの組み合わせが原曲の様に感じました。崎元さんの解説でも同じ様なことを話されていましたが、それだけお二人の演奏が素晴らしいということなんでしょうね。【千種区:J. I. 】

インデックスへ戻る

鈴木理恵子&高橋悠治 デュオ・コンサート
2004年3月18日 スタジオ・ルンデ
●今日の演奏会は、本当に驚きました。子供の情景のあんなに自由な演奏は初めてでした。シュ−マンは、ひょっとしたらあんな風に弾いてもらいたかったのかも知れませんね。子供の世界に”枠”はないですからね。ホロヴィッツのように低い椅子から出てくる音に無理は無く、ひょうひょうとした仕種のなかに感受性の鋭さを感じました。音も綺麗、ペダリングも絶妙でした。
 マルティノンは鈴木さんの個性(高橋さんに比べると、音楽の底の方までグイグイと聴く者を引っ張り込む)が発揮されて楽しめました。二つのソナタはどちらかというと高橋さんの個性的な表現の中に鈴木さんの音楽が少し埋まってしまったかな、という気もしました。それでもフランクは、だんだんそれぞれが、やりたいようにやりながらも、面白いアンサンブルを聞かせてくれました。ありがとうございました。【天白区:Y. N. 】
●半年ぶりの高橋悠治、ロマン派の作品楽しみでした。悠治の演奏を聴いて、世の中ペダル過多の演奏が多いナ〜、って思ってしまいました。ムダをそぎ落とした核のあるピアノの音、……。もともと悠治の音は禅のこころみたいなところが素敵ですけど、そこにここ近年まろやかさが溶け込んで。悠治の数十年前の本を今読み返してみても、未だ新しい。こうして大好きなアーティストを云十年と聴いている歓び、ってあるんだナ〜、と後半幸せな気分になりました。いつまでも元気でがんばって下さい。【天白区:Y. K. 】
●鈴木さんと高橋さんの組み合わせにしては珍しいポピュラープログラムということで、ブラームスとフランクのソナタを楽しみにしていたのですが……。高橋さんは体調でもすぐれなかったのでしょうか。いつになく乱調で名手2人の絶妙な掛け合いを期待していただけに、少々残念でした。とは言っても、マルティノンは鈴木さんらしい素晴らしい演奏で、アンコールの鳥の歌も楽しめました。【千種区J. I. 】
●社会派高橋悠治さんの弾く「子供の情景」に注目していましたが、可愛かったです! 楽譜の分るトロイメライで、ピアニストの工夫のすごさを感じました(当り前なんでしょうが)。ブラームスのソナタ、鈴木さんの長い弓づかいの音が美しかったです。
 後半の無伴奏、曲も良かったし、演奏も素晴らしかったです。(鈴木さんにも合っていると思います。)フランクは曲もヴァイオリン・ソナタ中の際愛好曲の一つですが、今日の鈴木・高橋コンビの演奏も美しく、楽しめました。アンコールも文句なし!
 それにしてもアンコール中に話をして笑う馬鹿どもが観客中にまぎれているとは!【緑区:K. I. 】
●前半のDuoは寂しかったが、後半は鈴木の魂の入った迫力ある演奏で聴衆のみでなく無愛想だった高橋までも鈴木の世界に引込んで素直に素晴しく感動を覚えたDuoでした。ありがとう。【H. S. 】

インデックスへ戻る

上海クァルテット
2004年3月16日 スタジオ・ルンデ
●先鋭的前衛的四重奏団かと勝手に予想していましたが、まるで違っていて、上品で正統的な演奏でした。初めて聴いた「チャイナソング」がことのほか面白く、もっと聴ければ、と思っていたところ、ベートーヴェンの「カバティーナ」と、チャイナソングからもう1曲のアンコールがあり、大満足でした。また、別の曲も聴けると嬉しいのですが……。【緑区:K. I. 】
●今夜の白眉は何と云ってもチャイナソングでした。曲そのものの6つ民族性ともマッチしている演奏でしょうが素晴らしいものでした。【昭和区:S. I. 】
●上海カルテットを一度聴いてみたいと思っておりましたところ昨秋サラマンカホールに来ると知り行って来ました。今回再び近くで聴くことができ、しかも小さなコンサートホールで身近に聴け感激でした。中国民謡もとても良かった。【春日井市:C. T. 】
●上海カルテットの演奏は今回で2回めです(1度めは昨年10月サラマンカホールにて)。中国民謡は特に印象的でした。土の匂いのようなものを感じ、それぞれの標題の光景が目に浮かぶようでした。エネルギッシュな人々の生活が描かれていて聞いていて楽しかったです。
 ルンデには今回初めて来ました。ホールでのコンサートに慣れている私にはいささか小さい感じがしましたが、演奏が始まって音響のすばらしさに驚きました。ホールなどでは味わえない演奏者の息づかいや繊細な音色まで身近に感じることができてとても興奮しました。ステージと客席が一体となりすばらしいホールです。【岐阜市:K. M. 】
●女子十二楽坊的なキワ物かと思っていたら、非常に演奏レベルが高いので、びっくりしました。ショパン・コンクール優勝のリー氏といい、中国が経済成長と共に、文化面でも急速に力を付けて来ているのを実感しました。【千種区:A. T. 】
●演奏会に出かける前はなるべくそのときに演奏される曲を前もってCDで聴いてから行くようにしているが、「日の出」は東京クァルテット(原田さんが第1ヴァイオリンを弾いていたころの録音だから、かなり前のもの)の演奏を聴いていった。ところが「アメリカ」はCDを聴こうと思ったら、自分はこの曲のCDを持っていないことを発見した。数限りなく聴いているのにCDがないというのも妙なものであるが、あまりにも何回も聴いているのでCDを買う気にもならなかったのだろう。
 ところでこクァルテットは中国人のクァルテットかと思っていたが、舞台に出てきた四人を見ると、チェロのツァヴァラスさんだけがちょっと顔立ちが違う。ハーフかとも思ったが、チェロだげは途中でメンバーが代わったのだそうで、ツァヴァラスさんはアメリカ人らしいし、そもそもこのクァルテットはいまやアメリカの団体だということになっているようだ。
 リさんの持っていたヴィオラがちょっと不思議な形をしていた。音はモダンの楽器と変わらなかったので古楽器というわけでもないようだったが、どういう由緒のある楽器なのか聞いてみたい気がした。
 「日の出」から始まったが、これはとてもはっらつとした演奏であった。テンボは少し早めで、快適に進んでゆく。聴きながら「この人たちは腕が立つなあ!と思った。まあ著名なコンクールで何度も入賞しているらしいし、みんなまだ若いので、演奏技術に関してはかなり高度なものを持っているのは当然ではあるが、それにしても一人一人の技術レベルはかなりなものであるように思った。そして感心したのは、四人の合奏でありながら、必ずしも合奏第一というのではなく、一人一人が結構ソリスティックに弾いていることであった。もちろん合わせるぺきところはきちんと合わせてはいるが、全体の印象としてはソリスト四人が集まっているという印象で、日本の演奏団体で言えばハレー弦楽四重奏団によく似ている。これは小人数の室内楽のひとつのあり方だと思う。なお、全体の演奏の印象は何となく東京クァルテットに似ているなあと思っていたら、どうやら指導を受けたこともあるらしい。
 次に演奏された「チャイナソング」は演奏がどうのこのよりも、曲自体が大変に面白かった。特に、最初に演奏された「ヤオ・ダンス」は、かなり長く、いかにも中国風(というより大陸風)の旋律が次から次へとあらわれてきて、オリジナルの雰圏気がそのまま伝わってきた。おかしかったのは、どの曲も編曲者であるジャンさんが弾いている第ニヴァイオリンがかなり目立つように作られていることで、これは編曲者の特権であろうか? 三曲ともピチカートが多かったのは、オリジナルが撥弦楽器だったせいなのだろうか。三曲ともチェロの出番があまりなかったのはちょっと気の毒であった。
 休憩後の「アメリカ」は、どちらかといえば四人のうち誰かが旋律を奏し、あとの三人がそれに付き合うというスタイルの音楽で、これは前に書いたようにこの団体の演奏スタイルにまさにぴったりの曲であった。この曲もどちらかといえぱ早めのテンポですっきりと演奏したが、歌うぺきところはちゃんと歌っていたのはさすがであった。
 アンコールは最初にベートーヴェンの作品130のクァルテットの「カヴァティーナ」。この団体はベートーヴェンの連続演奏をやっているとのことで、たしかに十分に弾きこんであるとの印象を受けた。そしてこの曲では、この演奏団体の、ハイドンやドヴォルザークのときとはまったく違った「顔」を見せてもらった。若いのに似合わず、「合奏」に重点を置いた、かなり深く突っ込んだ演奏で、こういうこともできるんだなあと感心した。
 アンコールの二曲目は、チャイナソングのひとつで、「ミャオ山の朝」だという紹介があったが、ヴァイオリンで鳥の鳴き声を模倣したりして、ちょっとトリッキーではあったがこれまたなかなかに面白い曲であった。この団体としては「余技」に属するものかもしれないが、こういう曲をちゃんと演奏するのは意外と難しいものなので、この団体の実力を示していたともいえる。全体として、若くはつらっとした、腕達者な演奏団体だという印象であった。
 今日は(チャイナソングをちょっと別にすれば)ハイドン、ドヴォルザーク、そしてちょっぴりベートーヴェンを開かせてもらったが、たとえばバルトークのような現代音楽に近いようなもの、あるいはラヴェルやドどユッシーのようなフランスものを弾かせたらどんな演奏を聞かせてくれるのだろう。次の機会にはぜひそういった曲を聴いてみたいと思う。【知立市:T. S. 】
●中国音楽を弦楽四重奏でどう表現するのか、西洋音楽の道を進む中国人演奏家が自国の伝統音楽にどのようにアプローチしているのかという点に、非常に興味を持って今日は楽しみにしてきました。
 二胡学習者・愛好者にはおなじみの「瑤族舞曲」「牧歌」。今日の感想として、「チャレンジ精神にあふれているなぁ。でもさすが、ネイティヴの演奏家!」中国楽器のアンサンブルでは、弦といっても、擦弦楽器だけでなく、打弦楽器、撥弦楽器なども入り、それぞれの楽器の個性が全体としての音楽に深みと独特の味わいを与えています。
 西洋楽器は音色が硬質であるため、民族楽器の持つ独特の「柔らかさ」や「揺らぎ」によって活きる曲を表現することは難しいと思うのですが、もともと「瑤族舞曲」は、二胡ではなく高胡(二胡より5度上)で演奏されることが多く、高胡自体、二胡よりも硬い音質であるため、今日の演奏を聴いて「ああなるほど、ヴァイオリンと上手く互換できている」と思いました。ネイティブの演奏家の選曲の妙と言えるでしょう。原曲の良さを生かしながら、西洋楽器ならではのボリューム感と厚みのある仕上がりで素晴らしいと思いました。(さすがに「皮」ではなく「木」が振動しているだけのことはあります。)
 以前から、中国楽器演奏家による西洋音楽へのアプローチは盛んに行われており中国楽器で西洋音楽をというのは、特に違和感も、珍しさも無いのですが、今日のような逆のケースというのは、珍しいなと思いました。私などは今となっては中国音楽に耳が慣れてしまって、音階もメロディ展開もこれと言って不思議だとも何とも思わなくなってしまったのですが、普段、西洋音楽の均整とれた音楽に慣れている方からご覧になると、かなり異質というか不思議ななものを感じられたのではないかと思いますが、いかがでしょうか?【千種区:T. S. 】

インデックスへ戻る

オーケストラ・アンサンブル金沢 第20回名古屋定演
2004年3月14日 愛知県芸術劇場コンサートホール
●女子マラソンで沸く名古屋は初夏を思わせるような陽気だったが、演奏会の方は秋を思わせる曲が並んだプログラミングであった。1曲目の武満徹「トゥリー・ライン」は紅葉が映える森を思わせるし、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲とブラームスの第4交響曲は寂寥感を湛えたホ短調である。演奏はといえばいずれも見事であったのはいつものとおり。武満作品については岩城さんならではの情のこもった歌いまわしで日本美術の名品を見るような思いにさせられた。だが、あまり言いたくないのだが現代音楽に立ち会わされたときの日本の聴衆の悪い癖が出て、会場の咳があまりに多く、感興をそがれた。メンデルスゾーンはバイチさんの表現がかなり個性的であったのと、オーケストラが第3楽章後半でテーマに重ねて奏する中低音の対旋律で、フレーズを短く切りながら聴かせたのが印象的だった。ブラームスは独特のオーケストラ配置が目を引いた。所謂対向配置だがさらに変わっていたのがコントラバスとティンパニの位置である。コントラバスが木管の後ろに横一列に正面を向いて並び、さらにその後ろにティンパニが置かれていた。岩城さんによれば、ブラームスの生前アメリカでこの曲が演奏されることになって、その際の指揮者にブラームス自身が指示した配置がこれとほぼ同じである(指示どおりだと現代と反対でファゴットの位置が下手になる)。コントラバスの音がより独立して聴こえ、ただでさえ立体的な響きが出る対向配置がいっそう効果的になった。細かいところまで明確に演奏され、この作品の対位法的、ないしはバロック的性格が際立った。第4楽章は重々しかったが、室内楽的な熱気も一方で感じられ、大管弦楽では得られないブラームス体験になった。彼の他の交響曲や協奏曲も是非取り上げ、いずれはブラームスチクルスもお願いしたいものだ。なおこの日私は最前列で聴いたが、翌日サントリーホール2階席で聴いた時もとても小編成とは思えない力強い音が会場に響きわたっていた。さすが多国籍ヴィルトゥオーゾ集団である。【東京都:M. A. 】
●よかった。とくに第2部。【刈谷市:K. I. 】
●全て聴き応えがあり、久々にウマイオケを堪能しました。ブラームス、予想以上の充実度でした。次回もまた聴きたいです。【守山区:A. I. 】
●以前より、リディア・バイチさんの演奏を聴きたいと思っていました。初来日の時は確か、名古屋公演がなかった覚えがありましたので、今回のメンデルスゾーンのVnコンチェルト、よかったです。アンコールが無かったのは残念ですが……。9月の諏訪内晶子さんも今から楽しみです。【西春日井郡:K. I. 】
●とても良い演奏会でした。ホールの響きをうまく利用していたと思います。ブラームスでは2楽章は少し鳴りすぎ?かと思いました。それでも4楽章につなげていく集中力はさすが Maestro ですね。コントラバスをうしろに配置した理由は何でしょうか?教えていただけたら幸いです。初めて生できかせていただきましたが、皆な熱い(特に Oboe、コンミスの VL、フルートなど)でびっくりしました。これからもがんばって下さい。期待、応援しています!!【春日井市:N. K. 】
●40人とはとても思えない程のスケール。初めての金沢でした。数えたら50人くらいか? チュッティは100人もプレイしているかと思ってしまいます。弦も全然乱れず。又管が実に素晴らしい。【北区:Y. O. 】
●メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲。力みのない自然な美しい音色に感動しました。ブラームスはよくまとまった演奏でした。特にコントラバスを後正面においたのが好感がもてました。【一宮市:N. N. 】
●いつも名古屋の演奏会で聴きに来ます。ちがった意味で元気をいただき感謝いたします。大変良かったです。ヨーロッパ旅行成功祈っています。【安八郡:R. T. 】
●名古屋地区のファンを対象に金沢を楽しみながら金沢でのコンサートに参加するツアーも面白いかもしれません。【大垣市:J. K. 】
●昨日は能を堪能しなぜか宿泊し、もう少し名古屋という縁でこのコンサート、最高の名古屋の二日目でした。又パイプオルガンの日に寄せて頂きたいナァー。【愛媛県:A. N. 】
●現代音楽はいまだによくわからないのですが「トゥリー・ライン」は何だか鎮守の表の神聖な雰囲気というのか、森の中に一人とり残されたときの恐れみたいな雰囲気を感じる演奏でした。次のメンデルスゾーンヴァイオリン協奏曲は、最もなじみの深い曲だけに楽しく聴かせてもらいました。この曲はとても落ち着ける感じがあっていいですね。リディア・バイチさんのヴァイオリン・ソロも新鮮でよかったですね。後半のブラームス1番はよく聴くんですが4番をライブで聴くのは初めてです。音に圧倒されるとかいうレベルとは違って、何ていうか手がたく音が伝わってくる気がしました。こういうのをうまい曲というんでしょうか。いつもと楽器の配置が違ってるのも興味深かったですね。
 いつもOEKの演奏会で一番楽しみなのは、演奏終了後、拍手にこたえて岩城さんが「やりましたぁ!」という感じでガッツポーズ(?)をされる姿を見ることです。今日もその姿が見えて満足です。  ところで次回はついに諏訪内さんが登場ですか。楽しみですね。しかも初演の曲、是非CD化して下さい。【岐阜市:H. W. 】
●ヴァイチ氏のメンコンの演奏は流れるようにすがすがしい。岩城氏指揮のOEKはいつ聴いても非常に見事なバランスのとれた正確な演奏である。そして深い感動を与えてくれる。【昭和区:T. O. 】
●初めて岩城先生の演奏を聞いたのは30数年前(昭和41年)岐阜市民会館でのN響でした。当時岐阜大学の2年でした。ヘンデル水上の音楽、ブルーブ協奏曲(ソロ・海野義雄)ベートーベン第7を聞くたびにあの時の岩城先生のさっそうとした指揮ぶりを思い出します。(以上は開演前に記す)。岩城−OEK⇒いいオケだ。室内オケだと思って聞きに来たが、なかなかどうして、よく鳴りますね。岩城先生の元気な指揮にお目に掛れて、よかったです。いつまでもお元気で。又、名古屋にいらして下さい。【中川区:Y. K. 】
●いつも乍素晴らしい。バイチ嬢の演奏は非常に良かった。ベートーヴェンヴァイオリン協奏曲で再度来名して欲しい。彼女の将来を期待して居ります。ブラームスは音色がすばらしかった。金沢、今回で3回目です。【桑名市:K. O. 】

インデックスへ戻る

小山実稚恵 ピアノ・リサイタル 「ラフマニノフとスクリャービン 4」
2004年3月13日 スタジオ・ルンデ
●弦が切れてもあのクリャービンは素晴らしい。即興曲、詩曲が聴けなくて残念だが、ソナタが二つも見れてよかった。調律師の早業も興味深かった。それにしても小山さんのピアノは最高!!(ルンデは)いつきてもいいホール!【神戸市:H. T. 】
●ただただ感動の一言です。こんな素晴らしい生演奏を、こんなに近くで、息を感じ、出会えた何て、本当にありがたかったです。涙が出そうでした。幸せな夜になりました。以前から、小山さんのファンでしたが、ますますファンになりました。
(ルンデは)もっと早く知っていれば、と思いました。また是非参加させてください。【揖斐郡:M. T. 】
●バッハ4曲とスクリャービンとラフマニノフ4曲を聞いて、小山さんがショパンイヤーの年にバッハだったのか何となく理解できたような気がします(サイン会の時もバッハは大好きとおっしゃっていたので)。本日の演奏スクリャービンの作品72も良かったですし、ラフマニノフの作品36もとても優れものでその迫力に圧倒されそうでした。やはりコンサートですよね。楽しさ100%を超えていました今日は。それとアンコールが、スクリャービン、ショパンのプレリュードとは何か象徴的でした。
 またピアノの弦切れはコンサート歴30数年で初めて見たアクシデントです。
いつまでも、良質のコンサート続けて下さい。【千種区:H. O. 】
●とても感動しました。どこからあんな音が出るんだろう……とただただ感激 !! でした。小山さんの世界にどんどん引き込まれてホントすごかったです。私もピアノが大好きで、今も練習中ですが、小山さんのように弾けるようになれたらなあ……と思いました。私も、もっともっと練習して、ピアノの世界を広げていけたらいいなと思います。本当に、聴けて幸せでした。
 (ルンデは)今日、初めて来たのですが、温かい感じで、とてもいい所だなぁと思いました。是非また来たいです。【揖斐郡:A. T. 】
●ラフマニノフのソナタがとくによかったです。スクリャービンとラフマニノフのプログラムは他のホールやコンサートではあまりきく機会がないのでとてもよかったです。
 ルンデは初めて来ました。とても雰囲気が良いと思います。他の例会のプログラムも魅力的なのでまた来たいと思います。【中村区:Y. I. 】
●このホールは初めてきましたが、奏者との距離が近く感じられ(物理的なものだけじゃなく)とてもよかったです。小山さんの演奏今更どうのこうの言うレベルではありません(とてもすばらしい)。小山さんが聞きたくてわざわざ大阪くんだりからやって来ました。【東大阪市:N. K.】
●とても力づよい感じですごく感動しました。【北区:I. I. 】
●深くずーと広がっていく音色の中での2時間弱。とても素敵でした。ありがとうございました。やっぱりコンサートですね。弦が切れるということに出会ったのは私は初めてだったのですが、さすが小山さん。何事もなく演奏されてさすがプロの方と思いました。
 ルンデは私のための演奏という感じそのもののホールです。【広島県:N. T. 】
●きょうは初めて小山実稚恵さんのリサイタルを聴きに来ました。スクリャービンは音大時代に同期のあいだで密かにブレイクして、ソナタ4番、5番、白ミサとか懐かしい。何もわからず弾いていたようなものだが、今こうして誠実な演奏でこの作品を聴いていると、たいへんな仕事だ、とつくづく思う。
……後半になると思いは飛んで、全く別のことを考えていた。先月名古屋大学で平田圭二氏の<音楽を理解する/認識するとはどういうことか.音楽理論GTTM の紹介>という修士課程の講義があり聴講させて頂いたのだが、その時とても面白い研究発表があった。あるピアノ曲の冒頭(8小節程度)を何度も聞かせ、どの音に一番のクライマックスを感じるか、またフレーズを感じるところはどこか、などを譜面上に書かせる。このような調査を100人に行ったところ、5パターンくらいに分かれることが判ったという。なかでもフレーズ型と呼ばれるフレーズを長くとる型は、クラシック音楽をよく聴くひと、あるいは楽器を演奏するひとに多い、とのこと。また逆にフレーズを短く感じる型は、音楽にあまり親しまないタイプ、あるいはよく聴いてもポップス中心の傾向がみられる、……と。これなどはリズム先行の捉え方で音楽の深みを静かに味わう精神性と相反行するかもしれない。息の長さはリラックスにもつながり、音楽療法にも通じるところもあるのでしょう。(この日研究室に7,8名の聴講生だったのだが、5パターンにまたがっていたのも実に面白かった。)……これは同じ演奏が聴衆にどのように聞こえるのか知る上でたいへん興味深い。
 息の長い耳の肥えた聴衆に、演奏家が育てられる、ということは充分あり得る。……そしてきょう、演奏を聴きながら音楽表現について思っていたのだった。小山さんのような音群の束ね方をする方もいれば、フレーズから次のフレーズへもっと折りたたむようにアグレッシブにもっていく人もある。もちろんどちらが正しい、とかの問題でもないし、演奏家というものは自分の内的欲求にひたむきに向き合っていなければ務まらないもので、ひとの真似など出来ないものだ。楽譜の読み方に規則はあるが、その表現の感じ方が個々にちがう、というのはその演奏家が育った音環境や生活様式からくるのだとしたら、じつにおもしろい。知らず知らずのうちに、音楽表現について客観的に考えている、……そんな夕べでした。【Y. K. 】
●相変わらず小山さんはきれいだったので安心しました。スクリャービンは難しくてついていけなかったです。ごめんなさい。ラフマニノフは情熱的で小山さんの本領発揮といったところでしょうか。この情熱的なところが外見ではわからない、ピアノを聴いてみて初めてわかる小山さんのいい所だと思います。スクリャービンは神秘的というか不思議な音でしたが、シェーンベルクみたいに理屈で考えてあんな響きを出したんでしょうか? 勉強不足ですね(私は)。これからも勉強を続けたいと思います。【:H. Y. 】

インデックスへ戻る

タスミン・リトル 無伴奏ヴァイオリン・リサイタル
2004年2月1日 スタジオ・ルンデ
●バッハの無伴奏はヴァイオリン曲の中でも大好きな曲です。良く聴いていますがリトルの演奏は音楽性が豊かで特にシャコンヌとクーラントが好演でした。久し振りに聴きごたえのある演奏に出合いました。【昭和区:S. I. 】
バルトークの無伴奏ソナタをとても楽しみにしていました。忘れ難く刻みこんで印象深いものになりました。バッハも同じ。大きいホールではこんなに充実したものがきけなかったと思います。【S. M. 】
●リトルさんのヴァイオリンの音色とっても澄んでいてそれで冷たい音でなくとてもいい気持ちにさせてもらいました。目をとじていますと雪の積っている森の中でまだ葉を落としている木々が早く芽を出したいという感じでいるように自分には思えました。【広島県:N. T. 】
●100点。【扶桑町:M. Y. 】
●昨年この会場で切り味のするどいバルトークを聴いて感動しましたが、きょうは、とても懐しいひびきがするよい演奏でした。前衛的と思っていた曲も耳がなじんできたのでしょうか。それでも、バルトークの育った農村のイメージを強く感じたのは、この演奏家の表現なのでしょう。
 アンコールのイザイ「バラード」も音楽の可能性の無限の広がりを感じさせるものがあり、再びバッハの曲が鳴り出した時は、バッハがまったく新鮮に聴こえるのにおどろきました。【中村区:M. I. 】
●良い演奏が聴けるものと期待していましたが、まさにスーパーテクニックで、音楽性も抜群でした! 後半のバルトーク、アンコールのイザイは特にすごかったと思います。さすがに西欧女流、スタミナも十分でした。【緑区:K. I. 】
●良かったです。今度も呼んで下さい。その際にはディーリアスをよろしく。【岐阜市:S. Y. 】
●演奏者は間近にいるのに、音楽と自分の間になぜか距離があって、取り残されたような焦りと淋しさを感じることがあります。今日の本プログラムのバッハとバルトークは、音色の硬さが気になって、集中して聴こうとしても散漫な私をどうすることもできずに残念なことをしました。でも、アンコールのイザイとバッハは充分楽しめました。特にイザイの第三番「バラード」は素晴らしく、曲自体がリトルさんに合っているように感じました。伸び伸びとした輝きのある演奏で、彼女の本領が発揮されていたと思います。【北区:K. A. 】
●Bachの2番は弾き込む量が足らないのではないかと感じました。Bach特有の優しさと厳しさがいま一つ表現しきれていないと思いました。もっと弾き込む量が必要だと思います。バルトークのソナタの方がきれいでした。こちらの方が得意なように聴こえました。アンコールのイザイとBachの方が上手かったのは気のせいでしょうか。でもこれからも伸びる可能性を持った人だと思ったのでまた聴きに行きたいと思います。もっと表情豊かに弾ければ味も出てくると思います。偉そうなことをいってすいません。【天白区:H. Y. 】
●前半のバッハは、最後のシャコンヌになってからが盛りあがった。後半のバルトークは、アダージョのところがよかった。アンコールのイザイはもっと良かった。最後にまたバッハでしめくくったところもよかった。【北区:T. K. 】
●音楽の演奏を聴く場合、以前その演奏家の演奏に接したことのある場合、あるいは世評を聞いている場合は、ある程度の予見を持って聴くことになる。これはその音楽家の音楽に近づくための近道ではあるが、一方ではあらかじめ演奏についての評価を決めておいてから演奏を聴くことになってしまい、純粋に音楽を受け止めていないともいえる。
 そういった意味では、自分はリトルさんについては名前すら聞いたことがなかったので、この演奏会にはいわぱ白紙の状態でやってきた。これはなかなか楽しみなことであった。そして曲目がバッハの無伴奏曲の中ではもっともポピュラーといってよいパルティータ第二番と、難曲中の難曲であるバルトークときてはまさにこのヴァイオリニストのすべてが聴けるような気がしてわくわくした。
 リトルさんはにこにこしながら出てきてバッハを弾き始めた。ところでバッハの無伴奏ヴァイオリンというと、どうしても以前ルンデで聴いた戸田弥生さんの演奏を思い出してしまう。あれは大げさにいえぱまさに鬼気迫る演奏であった。どうしてもそれと比べてしまうのだが、リトルさんの演奏は気迫は十分にありながら節度よくそれがコントロールされており、いわぱちょっぴり大人のバッハという感じがした。音色は透明で、聴いていて快く「これがバッハの音色です」といっておられるような気がした。有名なシャコンヌも特にこまかな細工はせず、率直に演奏された。
 そしてバルトーク。これも以前に堀米さんの演奏を聴いているのでそれと比べてしまうのだが、堀米さんの演奏はどちらかといえばこの難曲を難曲と感じさせないものであったのに比べ、リトルさんは揮身の力を込めてこの曲に取り組んでいる雰囲気が伝わってきて、こっちも襟を正したくなるようであった。つまりバッハのときとは音楽の表情がかなり違っていた。これはもちろん曲そのものの持つ特性にもよるのだろうが、曲によって演奏の表情が変わるというのは、リトルさんの音楽性の幅の広さを示すものであろう。音色的にも、この曲ではかなり激しい(荒々しい)ところやゆったりと歌うところが交錯しているが、曲の表情に合わせて音色を使い分けておられるようだった。
 ところで、プログラムに書いてあったのはこの二曲だけであるが、鈴木さんによれば「おまけ」があるかもしれないとのことだった。そして盛大な拍手に応えて演奏されたのは何とイザイの無伴奏ソナタ第三番「バラード」であった。10分あまりかかる曲で、まさに特大のおまけであった。いうまでもなくヴァイオリンのあらゆるテクニックが披露される曲で、まさに聴いていて目がくらむような思いをした。そして(バルトークもそうだったが)いったいどうすればこれだけの難曲を思いのままに(しかもかなりの余裕を持って)弾きこなすことができるのだろうと、改めてすぐれたヴァイオリニストの能力というものに敬服した。
 アンコールのもうひとつはバッハの「無伴奏パルティータ第三番」ホ長調の最終曲である「ジーグ」で、これはまた一転して楽しく軽やかに演奏されて終わった。この人の演奏は初めて聴いたのであったが、まさに円熟しきった、何でもこいの演奏家で、しかも小器用というのではなく、しっかりと自分の音楽を持っておられるところは見事としかいいようがなく、世の中には自分の知らない優れた演奏家がまだまだいるんだなあと思ったことであった。【知立市:T. S. 】

インデックスへ戻る

藤原真理 無伴奏チェロ・リサイタル
2004年1月21日 スタジオ・ルンデ
●藤原さんの語りがあって演奏というのは、生演奏ならではでとても良かったです。バッハの組曲は、力強いのに優しい音色でした。藤原さんの中に熱いものを持っておられるのが音色に感じられました。
(ルンデは)指の動き、音の小さな響きまでしっかり感じとれるホールです。【広島県:N. T. 】
●16才になった娘と二人で来ました。藤原さんの「ナウシカ」のCDを、子守唄に育った娘が、バッハを聞きたいと言い出したのは、すごくうれしいです。藤原さんの生は、まだ労音が健在の頃、名古屋で何度か聴き、三河でもやってみたいと思っていた方です。やっとバッハの生が聴けました。嬉しい。 また、他の曲、それから、コダーイも聴いて、みたいです。
(ルンデは)久し振り、なつかしいです。20年かな。響きの良さに改めて脱帽。【安城市:N. K. 】
●こうゆうの初めてなんでドキドキしながら聞いてました。よかったです。【安城市:S. K. 】
●藤原真理さんのソロは初めてで楽しみにしていました。ステージに出ていらっしゃるなりとても嬉しそうで、またいっそう楽しそうにお話が始まって、こちらも嬉しくなりました。ゲバイドゥーリナの作品でチェロの技巧の数々を垣間見られたのが愉しかったです。
 前半は楽器がすこし乾いているような感じでしたが(どうなのかな?)手の湿り気とか聴き手の息が伝わってか(?)後半音もよく響いてきた感じでした。出てくる楽器の音に対してとてもフレキシブルな真理さんのリアクションが印象的で、楽器の音素材を使って自分の音楽を構築しているクリエイティブな心意気とそのお姿・・・左手もですけど、とくに右のボーイングのひじ、手首の動きは芸術的だな〜とロダンの彫刻を連想してしまったりして感動していました。【天白区:Y. K. 】
●藤原真理さんについてはずいぶん以前からすばらしいチェリストだということを何度も聞き、一度はその演奏に接してみたいものだと切望していたのだがなかなかその機会がなかった。今回ルンデで演奏されるというので、飛びつくようにしてチケットを買ったのであった。
 定刻になって藤原さん登場。実に気軽な感じで出てこられたが、楽器を持って舞台に立っただけで、ああこれは実力のある音楽家だ(当然だが)というオーラのようなものが出てくるのはさすがとしかいいようがない。とにかく「華」のある人である。
 演奏の前に、これから演奏するバッハの無伴奏チェロ組曲についての実演入りの解説があった。一番から六番までの前奏曲の冒頭をちょっとずつ演奏され、調性の違いによる雰圏気の違いについて話されたが、この演奏が短いながら何とも見事で美しく、途中でやめてしまわれたのが残念だった。もっとも、四番と五番についてはそのあとで全曲の演奏があるので、それへの期待感でわくわくする効果はあった。そのあと、組曲を構成している各種の舞曲についての簡単な説明があり、第四番が始まった、この曲は六曲の無伴奏チェロ組曲の中では比較的演奏される機会の少ない曲ではないかと思うが、変ホ長調という講性をうまく使った明るく健康的な曲が多く、藤原さんはまさに伸ぴやかに舞曲を演出しながら演奏された。
 次のグバイドゥーリナの前奏曲は一曲ごとにチェロのいろんな奏法が紹介されるという面自い曲で、全部で十曲あるらしいが、この目は第一番から第七番までが演奏された(あとの三曲は来年度の由)。藤原さんは一曲ごとに「次の曲はこういう奏法で演奏します」と説明しながら演奏された。演奏しながら言葉を挟むというのはずいぶん面倒なことだと思うのだが、それをさりげなくやってのけるところが藤原さんの度量というものだろう。音楽を決してプロだけのものにせず、聴衆と一緒になって楽しもうという気持ちが感じられて、とてもうれしかった。
 後半は第五番ハ短調。これは自分でも(ヴィオラ・バージョンを)だいぷ弾いているので、すべての曲にじっくりと耳を傾けたが、ハ短調という調性、それに曲の作り方からして、大仰に構えて深刻に弾こうと思えばいくらでもそれができる曲でありながら、藤原さんの演奏は過度に情緒におぼれることなく、どちらかといえぱ淡々と演奏され、一曲ごとに感心しながら聴いているうちに終わってしまった。
 盛大な拍手に応えてアンコールということになったが、事前にアンコールで何を弾くかを決めておられなかったようで、しぱらく考えておられた。バッハを弾くとして、軽いメヌエットかなんかを演奏されるかと思っていたら「六番の前奏曲を弾きましょう」といわれたので驚いた。これはずいぶん大変な曲だからである。しかし聴いているほうとしては、特大のおまけをつけてもらったような気がした。そしてもう一曲「年の初めですから」ということで、一番の前奏曲が演奏された。これまたおなじみの曲でありながら、当代随一のチェリストが目の前で弾いてくれるというのはまことにぜいたくなひとときであった。
 正直に告白すると、藤原さんがこんなに親しみやすい方だということはちょっと予想していなかった。「超」をつけてもおかしくないぐらいの一流の音楽家でありながら、気取ったところやもったいぷったところがまったくなく、音楽を自由自在に操りながら、聴衆と一緒になって楽しもうという姿勢には本当に感心した。このひとのファンになってしまいそうである。【知立市:T. S. 】
●100点。【扶桑町:M. Y. 】
●チェロがこれほど表情が豊かだとは思いませんでした。
 アンコールで「1番」の前奏曲が聞けてラッキーでした。今日コンサートに来ようと思ったのはこの曲がきっかけでしたから。ありがとうございました。【瑞穂区:K. T. 】
●藤原さんの無伴奏を聴いたのは初めてと思います。期待にたがわぬスケールの大きい堂々としたバッハで素晴らしかったです。
 後半の演奏には特に感動しました。グバイドゥーリナも解説付きでよく理解できましたが、弱音器付きの1曲が特に美しく、その演奏もどこで弱音器が付き、はずれるのか、見ていなければ分らない位非常にうまくつながっていて見事でした!【緑区:K. I. 】
●外は雪になりそうな寒夜。でも中は温かい音に包まれて幸せな一時でした。藤原さんの演奏は昭和の時代東京で聴いて以来です。【昭和区:S. I. 】
●藤原真理さんの演奏を生で聴くのは初めてです。若い頃の写真をまだ小さい頃から見ていたのですが、演奏会で拝見して、とてもきれいな方だと思いました。美しく年を重ねていらっしゃるようなので秘訣など聴いてみたいと思います。さて演奏の方ですが、Bachの組曲がメインでしたがBachというのは不思議なもので何回聴いても飽きないですね。難しいことはわからないまま聴いているのですが藤原さんの演奏は何かストレートに伝わってくるものがあって会場のよい緊張感もあり心に残る演奏だと思いました。またルンデで演奏されるようなのでまた来たいと思います。【天白区:H. Y. 】

インデックスへ戻る

金澤 攝 ヴィルヘルム・クリューガー ピアノ名作選
2004年1月10日 スタジオ・ルンデ
●100点。【扶桑町:M. Y. 】
●ヘンデルの組曲も初めて聴きます。ピアノの曲もいっぱいあるのに、さらに知られざる曲を掘りおこして紹介しようという奏者の熱意に敬服します。
 クリューガーの曲は、オペラのメロディーをもとにした曲が多く、当時の音楽のはやりがわかります。奏者はそこに時代のふん囲気を感じるとしていますが、なるほどと思いました。それでも技巧としてたいへんむずかしそうで、それが時代の趣味でもあったのでしょう。【中村区:M. I. 】
●前半、聴く者を寄せつけない、といったのとは明らかに違う音楽が聴けました。曲はどれも明るく華麗で、楽しく聴きました。いくつかの曲は非常に美しかったです。トランスクリプションものは、原曲のオペラ等を知らない訳ですが、それでもなかなか良い曲と思うものばかりでした。1世紀の間弾いた人があったかどうか、なんて信じられません。後半のクリューガー校訂ヘンデルもとても楽しく聴きました。すっきりしていて、それでいて私のかすかに知っているヘンデルの美しいパッセージに似たものもありました。金澤さんの言われる「バッハに対するブゾーニ」の位置をクリューガーがヘンデルに占めているとすれば、ピアニストでこれを聴かなかった人も多いのは、もったいないと思いますが、我々アマの聴衆だからこそ、これを聴ける、楽しめるというのも幸せなものです。(本当は金澤さんには東京芸大や桐朋で講義してもらえるとよいんでしょうが、これも音楽経験をある程度積んだアマだからこそきけるのであって、教養のない音大生はきいてもしょうがないのかもしれませんね。)【緑区:K. I. 】
●攝さんのファンの一人です。(20年以上…。)9月のコンサートの続きルンデは2回目です。これからも攝さんのコンサートを盛り上げてください。本日のコンサートも大変感動しました!【堺市:E. A.】

インデックスへ戻る

トップページへ