101 | どこまで自分を守ることが出来るか | 8月 6日版 |
102 | 言っちゃ悪いがドタバタ劇 | 8月13日版 |
103 | 下がった「武士」の値 | 8月20日版 |
104 | 「木曽音楽祭」の勝手な感想です | 8月27日版 |
【101】 2001年 8月 6日号 |
【102】 2001年 8月13日号 |
【103】 2001年 8月20日号 |
●下がった「武士」の値
また、外務省の話……。 新聞に拠れば、在パラオ大使館の前理事官が公費約1億円を流用した問題で、杉浦正健外務副大臣が『公表することで彼の人生の選択の幅を縮める。これも武士の情け、人情かなと思い(不公表とすることを)了承した』と語ったそうだ。 当節「武士」の値も下がったものである。外務官僚が「武士の情け」を口にするなら、かの杉原千畝氏の行動に当てはめ、本省指令に違背したその行動を人類愛という高い見地からこそ黙視するべきであった。大体「武士の情け」と「人情」は全く異次元の問題である。「武士」というのは極めて限定された環境の中に生きねばならない者であり、それゆえに様々な生き様が展開される。その中での真の「武士の情け」は深い意味を持つ。余談だが、先日ルンデに来演したロシア生まれのピアニスト、イリーナ・メジューエワさんは『武士道というは死ぬことと見つけたり、という「葉隠」の美意識に強くひかれた』という。副大臣氏の武士というものへの認識はどの程度だったかおよそ知れようと言うのは、次ぎのような発言にも明らかである。曰く『若い青年が過ちを犯し、厳正なる処罰を受けたが、家族もある。いたずらにむち打つだけがいいとも思えない』。これは極めて安易な人情である。本人の国家公務員として立場など全く顧慮されていない。例えば郵政職員が僅か5000円の現金書留を横領した時、そんな寛大な処分が行われるのだろうか。 さらに『処分すればいずれは世間に漏れてくる。差し当たって公表しないのは一つの考え方だ。不公表と隠蔽は違う』と強弁するのを聞いてはただ呆れ果てるのみ。これこそ詭弁以外の何物でもない。漏れなければ頬被りしようというケチな考えを恥ずかしくもなく堂々と口に出来るものだ。 (ここでも新聞は淡々と「報道する」のみで格別論評しない。その寛大さ!) 思えば、政治家・官僚諸氏は「泣いて馬謖を斬る」という言葉などさらさらご存じないようだから、推して知るべしか。 |
【104】 2001年 8月27日号 |