Weekly Spot Back Number
December 2001


118 「目的と手段」について(1)   12月 3日版
119 「目的と手段」について(2) 12月10日版
120 どうやって「本人」と確認するの? 12月17日版
121 2001年を閉じる 12月24/31日版



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【118】 2001年12月 3日号

Teddy●「目的と手段」について(1)
 しばしば問題となっている高速道路料金所(出口)での渋滞解消を狙って、道路公団が考え出した「自動料金収受システム(略称ETC)」が稼働し始めて半年以上経過したが、当初の目論見ほどは成果を挙げていないようだ。
 効能書は『ETC料金所で止まらずに高速道路に出入りできるシステム。車に据え付けた車載器の無線信号を料金所のアンテナで感知し、利用者や料金を識別、バーが自動的に開閉する。料金はクレジット会社を通じて後日、口座から引き落とされる。利用者は小銭の用意がいらず、雨の日も窓を開けないですむ。渋滞が減って排ガスや騒音が減る効果も期待されている』。大きな料金所にはETC車の専用ゲートがあり、一般車が列をつくっている渋滞時でも待たずに済むというのだが、『渋滞解消を狙って高速道路の料金所に導入されたETC(自動料金収受システム)の利用者が、伸び悩んでいる。利用には車内に車載器をすえつける必要があり、その値段が安くても約3万円もするのが一因だ。日本道路公団は、利用できる料金所が3倍以上に増えた11月30日を境に、ETC利用者だけ通行料金を2割引きし、関心を引こうと躍起になっている』のが現状。
 ところで、このシステムを導入することになったきっかけは冒頭に挙げたように出口で起こる渋滞にある。これは、どんな場面に於いても、短時間に多量のものが集中すれば当然の現象で、それがここでは、単に通過できる出口の数自体が限られるのみならず、料金の支払いという絶対的に時間を必要とする、しかも不可避の作業が加わると言う問題を抱えている。そこで、その渋滞原因である「時間」の壁を一気に取り払ってしまう策として考え出された訳だ。発想としては至極もっともであるし、現在のテクノロジーをもってすれば、至って簡単なことではある。  (この項続く)

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 【119】 2001年12月10日号

Teddy●「目的と手段」について(2)
 システムのアイデアとしては、確かに現在のテクノロジーをもってすれば至って簡単なことではあるが、設備に投資が必要であることと、なにせ利用するのが人間であることに、問題がある。
 現在のところ、料金徴収者側の設備はまだ少なく、支払う側の車載器搭載率も極めて低い。公団のいうように「月にせいぜい一回しか高速道路を走らないサンデー・ドライバーなどは、高いと思っているのでは」。仮に設備投資が済んだとしても、以前にこのコラムの「作る人と使う人」という欄でも述べたが、作る人が一方的に取り決めた「利用手順」を、不特定多数の人々が必ず理解して守る事を期待するのは、所詮無理である。現に、自動システムを導入した料金ゲートでは、機器の予想できなかった異常動作や、ドライヴァーの勘違いによる誤動作トラブルが頻繁に起こっているそうだ。
 筆者も先日高速道路入口で或るゲートだけ車が長い列を作っているのを見た。遮断機が上がり下りしているところは「ETC専用」の入り口のようである。片や「自動発券」の方は非常にスムーズに流れている。なるほどと思った。つまり全車両がこのシステムに対応しない限り『ETC料金所で止まらずに高速道路に出入りできるシステム』などとは烏滸がましい。出口のことを考えてみても、釣り銭の必要な現金支払いの場合が時間を要するのであって、クレジットカードで精算すれば何と言うこともない筈だ。
 そして何よりオカシイのは、このシステム普及のために「通行料の特別割引をする」というところだ。「徴収」することに血道を上げて、何故徴収する必要があるかへの配慮が何処かへ行ってしまっている。
 大変乱暴な言い方だが、そもそも出入口で渋滞が起こるのは有料であるからで、解決の最上策は無料にすることである。そしてヨーロッパで行われているように、車そのもに高速道路の利用を前提とした賦課金を科すること。それが不公平で、あくまで受益者負担というならば、ETC対応車両以外は利用禁止にする……。
 少しでも現実的な案としては、無人にせよ有人にせよクレジットカード専用ゲートを作り、少しでも急ぐ人はそちらへ、のんびり行きたい人は現金窓口へどうぞ、ではダメなのだろうか。
 如何にスムーズに料金を徴収するかに心を砕いて頂くのも結構だが、そうやって得た収入が、どれだけ何にどう使われているのか明確にして、通行料がちゃんと生かされていることを納得させて貰いたいものである。ひたすら「天下り役員への人件費」や外郭団体の利権に流れるのは真っ平御免、設備投資の呼び起こす「経済効果」を評価して喜んでいてもらっては困るのである。

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 【120】 2001年12月17日号

Teddy●どうやって「本人」と確認するの?
 また、法律の適用の難しさ、融通の利かなさを痛感させられることが話題に上った。
 知らぬ間に戸籍上で誰かと結婚させられて、それに気付いて取り消しても、戸籍上は「一旦結婚し(除籍)のちに離婚した(復籍)」という事実が記録として残るという問題、無断で転居させ(住民票の移動)、本人になりすまして新たな印鑑証明を取得するという問題、等々である。
 これらはいずれも、第三者によって簡単にプライヴァシーに関する情報がいとも簡単に盗用され、それが法的効力を発生してしまい、しかもそれを取り消すことが出来ない、という由々しき問題である。
 前者(本人の与り知らぬ結婚)の場合は、その「結婚したという事実」を取り消すためには「離婚する」以外に方法がない。つまり一旦は「法律的に結婚したことを承認」せざるを得ないのである。そして両者が与り知らなかった場合は、どちらかが離婚を申し立て(原告)片方がそれを受ける(被告)立場に立つことになる。結婚という理由で除籍され、離婚という理由で復活するその経過は歴然として残る。たとえ虚偽の被害にに遭ったとしても、「離婚の理由」を戸籍謄本に記載することは出来ないという法律に則って、「結婚し離婚した事実」が「精確に」記録されることになり、結婚も離婚も全くその事実はなかったとは証明されないので、「結婚し離婚したことが法律的に証明され」てしまう。誰が考えても、本人の意思とは全く無関係に(悪意に基づく)第三者によって進められたことは簡単に法律的に発効するのに、自分自身が不当を申し立てても解消が認められないというのは摩訶不思議であろう。
 これらのケースでは、要するに一連の手続きに「本人」が関与したかどうかを確認しないでも済んでしまう現在の「行政手続き」に根元がある。行政サービスを謳って、お役所発行の各種の「証明」が簡単に手に入ることにはなったが、その分悪用される危険が増大したことに対して何か手を打っただろうか。よく言えば性善説に頼っているのだろうが、見方を変えればとんでもなく無責任である。なにせ本人の自筆署名より三文判の方が権威があるシステムが普及してしまっている日本では、起こり得べくして起こった現象ではある。
 まずは「本人であることを証明する」手だてについて、早急に真剣に検討することが急務であり、前述のような不合理が起こったときに、「事実」と「潔白」を証明するための戸籍謄本への「附記」を認めることを可能とする(当然過ぎる)柔軟性を持たないと、ここでもまた「被害者の人権」が全く無視される状況が続くことになる。
 ではどうやって本人であることを証明するか? すべての国民に身分証明書を持たせるか? 島国日本では日常的に必要とされず関心の薄かったパスポートがその役割を務め得るか?
 もし偽造が不可能であるとしたら「指紋」「掌紋」を利用するか? 現在すでに電子施錠のパスワード代わりに個人識別の手段として実用されているし、これが有効なら活用できるのではないか。指紋の採取そのものについては根強い反対があるようだが、因みに、筆者は指紋採取に何の抵抗もない。万一自分が犯罪でも犯したときは抜き差しならぬ証拠になるだろうが、逆に無関係であることをも証明してもくれる。採取されるに当たっては、別に減るわけでもないし肉体的な苦痛を感じることもないし、どうと言うこともあるまい。少しでも自分を護ってくれるのならば、自分が自分であることを証明出来るのならば、至っておやすい御用である。    

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 【121】 2001年12月24/31日号

Teddy●2001年を閉じる
※12月に入ってすっかり体調を崩してしまい、所定の日付でコラムを書き続けられなかったことを恥ずかしく思う。ともかく、2001年を締めくくって仕舞わなくては……と、二週合併号でお許し願はねばならない。
 21世紀に入った最初の年2001年……世紀の交代に呼応するように、20世紀を切り開き背負った多くの音楽家を失った年でもあった。
 そして、そのすべてにとどめを刺すかのように、12月29日、マエストロ・アサヒナが世を去った。
――指揮者・朝比奈隆、93歳。ベートーヴェン、ブルックナーの演奏で名声を馳せる。彼は所謂「音大出」ではなく京都大学法学部・文学部に学び、同大学交響楽団によって音楽の道に進路を見出す。自ら選んだ方法で指揮法を収め楽界にデビュー。そして、文字通り手塩に掛けて育んで来た大阪フィルハーモニー交響楽団に終始一貫君臨し続けて他者に譲ることなく……そして、永年にわたり自ら指揮台に立ち続けた年末恒例の「第九」演奏会の日、若杉弘に指揮棒を託して逝った。楽壇にとってまさに一つの時代の終わったことを決定づけるような出来事だったと思う。
 今年世を去った日本の音楽家の内で、もっとも感慨深かったのは作曲家・松平頼則氏である。先に逝ったオリヴィエ・メシアン(仏)とともに20世紀を生き抜いた東西音楽界の大先達は、学生時代エレクトロニクスのエンジニアを志して筆者が、ふとしたことでこの二人の著作に触れたのがきっかけで音楽の道へ転進した、因縁まことに深い方々である。松平氏とは1986年に初めてお会いすることを得たが、当時すでに80歳、矍鑠として「人間、好奇心を持てなくなったら死んだも同然だよ」と周囲を睥睨されていた姿が忘れられない。メシアン著「我が音楽語法」とともに氏の名著「近代和声学」は今も机上にある。そして、学生オーケストラの指揮で始まった私自身の音楽人生の底には、常に朝比奈氏への秘かな私淑があったこともまた事実である。
 まことに、20世紀は去った。

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