75 | 顔が見えない | 2月 5日版(第2週掲載) |
76 | 次から次へと…… | 2月12日版(第3週掲載) |
77 | 近頃、耳障りなこと、目障りなこと | 2月19日版(第4週掲載) |
78 | みんなやってる | 2月26日版(第5週掲載) |
2001年 2月第2週掲載 |
2001年 2月第3週掲載 |
2001年 2月第4週掲載 |
![]() 随分たくさんあるでしょうが…… ○その1:ついにここまで来たか……と思わせられたJRの「案内放送」である。 先月もこの欄で書いたが(人が人を守る2)、いつもあの超親切なご案内にはいささか閉口する。先週末新幹線のホームにいたら、今度は「ホームの端は転落するおそれがあるから黄色い線の内側を歩け」と言うのが追加されている。「発車間際の駆け込みは……」と同様、繰り返し耳に吹き込まれること自体がやりきれない。いや、必死に事故防止を訴えるJRを責める訳では決してないのだが、海岸、川原、崖っぷち……世の中には同じような危険が一杯待ちかまえている。 何事によらずすべからく我と我が身を守ることが先決である、という意識がもっと徹底されることを望むのみである。 「案内放送」について、ついでにJRに注文すると、携帯電話に関する「お願い」は、いっそのこともっと単刀直入(とは言ってもニホンゴ独特の謙譲的言い回しにならざるを得まいが)「携帯電話の着信音は周りのお客様の迷惑になりますので、必ずマナーモードでご利用ください」とやったらどうだろう。不快であるのは甲高い信号音や、突如ヘンテコな「音楽もどき」が鳴り出したりすることなので、電話での会話自体は、別段デッキヘ出ずとも最近のマイクの感度の良さから小声で充分通話可能だし(口とマイクを手で囲ってやればいいのに、大声を出さなければ行けないと思っている人が意外に多い。相手が聞き取り辛いのは「声」が小さいのではなくて「通信感度」や「ノイズ」の問題なのだ)、車内の乗客同士が交わす会話と同じマナーで済むことなのだ。 ○その2:聞いても見ても、引っ掛かるもの……森首相の「弁解」である。 あの人は余程「条件」を付けることがお好きなようである。以前からそうであったが、最近「えひめ丸」事件についての対応や姿勢を頻繁に問われるので、口癖でもあろうか「……だとすれば」を連発している。これは発言を直接聞いても、活字になったのを読んでも、カチンと来る。「ゴルフを続けたのが不適切であるとすれば」「国民に誤解を与えたとすれば」云々。これでは「売り言葉に買い言葉」である。そうかい、それじゃ「誰も不適切だと言わなければ、国民が黙っていさえしたら、本当はオレはこっれぽっちも疚しいところはないんだが、ゴチャゴチャ言う奴が居て面倒くさいから、取りあえず謝っといてヤラァ」ということなんだな、と毒づきたくなる不快さだ。 ○その3:これも今に始まったことではないが、ついでに……国会中継。 なんとかならないか、あの原稿の読みっこ。大事なことだから、我慢して傍聴しようと思っても、とても耐えられるものではない。小学校の学芸会にも劣る下手な芝居だ。せっかく「台本」が出来ているのだから、いっそのことプロの演出家と俳優を雇って、「国会の場」を演じて貰ったらどうだろう。もちろん発言はセリフだから「ソラ」で弁じてくれる。適当なヤマ場では丁々発止のやりとりも演出されるだろう。少しは「観ていて面白い」ものになりはすまいか。もっとも「もともと台本がお粗末だよ」と言われればそれまでだが。 コンサートでも、時折似たようなことがあって、楽譜に書いてある音を(高さ、長さ、強さはとりあえず「暗譜」で)出しているのだが、何も聴き手に伝わってこない演奏に遭遇することがある。「ここを聴いて欲しい」「こんな風に聴き取って欲しい」という働きかけが、てんで感じられないのだ。 政治家諸氏も、選挙の時の街頭演説は「暗譜」でちゃんとやっているじゃないか。結構身振りよろしくやっているじゃないか。それが、肝心の国会の場で急に三文役者になりさがるのは何故だ? 施政方針演説や、質疑応答の時、内容の正確さを期すためのメモや覚え書きに目をやることはいいだろうが、テニヲハまで読んで、おまけに間違えていては聞いちゃいられない。せめて自分のセリフくらい覚えたらどうだろう。 まあ「選挙の時だけは真剣」だと言うことなら、そんなものかも知れないと妙に納得もゆくからやりきれない。選挙は重要な手段であり、そこで勝つことが即ち究極の目的である、その間の「まつりごと」はポーズですますことにする……んじゃないか、などと。 |
2001年 2月第5週掲載 |