Weekly Spot Back Number
July 2001


96  「弘法、筆を選ばず」 7月 2日版
97  暑さに負けてのボヤキです 7月 9日版
98  亦々、暑さに負けてのボヤキです 7月16日版
99  「モリサガル」って何だ!? 7月23日版
100  どっちもどっち 7月30日版



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【96】 2001年 7月 2日

Teddy●「弘法、筆を選ばず」
 新聞で読んだのだが、或る国文学者氏のもとに、「弘法も筆の誤り」というがその実例は弘法大師の書いたどんな文書にあるのか、という問い合わせが某テレビ局からあったそうである。その局は、ほかにも「猿も木から落ちる」の「実例」をカメラに収めようと本気で努力中だそうだ。もちろんこれらの言葉は比喩であって、そのような「事実が存在する」かどうかは論外なのである。そのテレビ局は一体何を考えているのだろう? と心配になってしまう。
 そう言えば最近は「情けは人の為ならず」が「情けは人のためにならず」と解されるのが定着されつつあるそうだ。少し古い話だが、「青信号」が何故緑色なのかとか、札幌市にあるアイヌの言葉に由来する地名を漢字で表した「月寒」を「ツキサップ」と読むのは可笑しい、と問題になったことがあった。結局、前者は「みどりのおばさん」に「反映」されはしたが依然信号は「青」であり、後者は地名そのものが字はそのままにして「ツキサム」に変わってしまったのである。
 ついでながら、どうにも腑に落ちないことがある。
 乳児を「アカンボ」と呼ぶのは愛情溢れる形容で問題ないのに、夏の海岸で文字通り真っ黒になって走り回っている子どもたちを微笑ましさ一杯に「クロンボ」と表現すると、何故他意があるように勘ぐられるのだろう。
 何時だかNHKテレビの「忠臣蔵」で、さかんに「カタオチ」「カタオチ」というセリフが聞こえた。よく考えたら、これは「カタテオチ」と発音することが「放送コード」に抵触するためらしい。だが「カタオチ」などという日本語があるのか? 一体全体この「」は肉体的な hand や arm を意味するのだろうか? とんでもない。じゃあ囲碁や将棋の「ツギノイッ」 は何なんだ? 「ソノハクワヌ」は人肉嗜食を暗示するのか? 「オクノテヲツカウ」とバケモノなのか? 「この難局を乗り切るにはイロイロナテがある」と言えるのは阿修羅さんか千手観音に限るのか?……
 ほかにいくらでも例があるが、日本語の特色でもある含蓄ある表現が、いまやきわめて表面的に捉えられつつあるようで、その分表現の多様性が侵されている。ともあれ、確実にニホンゴが面白くなくなって行く。

 ところで全然話は違うが……コンサートの世界でのことについて。
 演奏家とは因果な商売である。まず、招かれて演奏に赴くホールの音響条件は、与えられたものをそのまま受け入れざるを得ない。その上ピアニスト、オルガニストは楽器もお仕着せである(まあ、かつてのベネディッティ=ミケランジェリのように自分のピアノを、時には二台も!担いで回れるご身分なら別だが)。となれば、自分の方を与えられた環境に出来るだけ合わせなければならない。大袈裟に言えば、それが演奏家の「宿命」なのだ。
 経験の浅い演奏家の多くは、とかくリハーサル時に、これらの変えることの出来ない条件までをも全て、自分の好む状況にもって行こうと努力しがちである。しかしリハーサル時に演奏者が「自分に良く聴こえる」位置を如何に細かく探ってみても、所詮それは空のホールのステージの上のことであって、本番で聴衆が客席を埋めた場合は、自分も全然別の音響条件下にあることは明白だし、何よりも肝心なのは聴衆にどう聴こえて行くかなのだ。それゆえ、信頼出来るホールでは、まず会場の音響を熟知している係員(それに常備されている楽器を知りつくした調律師)の設定してくれた環境の中で、それに素早く対応するような経験を積んで欲しいものである。
 因みに、私の知る限り(リハーサルから立ち会うことが出来た)世界の第一線で活動するアーティスト達は、見事にそれを実践している。
 それこそ「弘法、筆を選ばず」であろう。

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 【97】 2001年 7月 9日

Teddy●暑さに負けてのボヤキです
 猛烈な暑さが続いている。「気温39.8度」など想像を絶する。もっとも、これを「サンジュウクハチ」と読み上げられると、何だか体温のようで可笑しいけれど、一層アツイ。「サンジュウキュウテンハチ」で何故いけないのだろう? 梅雨がいつ明けたのやら気象庁もよく判らなくて、適当に宣言している。確かに梅雨の「ジメジメした鬱陶しい陽気」のメージが薄れて、降るとなると夕立なみのヒステリックな雨になるので、一昔前のツユは何処かへ行ってしまったようだ。
 行動意欲を喪失しているうちに一週間はアッという間に経ち、Weekly が怪しくなりそうだ。しかも世の中は、続々とニュースが生まれ一々考え込んでいては追っつかない。今週もボヤキになってしまった。蒙御免。

 愛知万博の「その後」を気にしていたら、オリンピックの話題が飛び込んできた。「2008年度、大阪惨敗」である。「関係」の方々には申し訳ないし大きなお世話かも知れないが、大阪オリンピックが無くなって安心した。招致に失敗した結果、例によって準備段階での対応に各方面から非難囂々だが、何故それらの「分かり切った問題点」が事前に参考されなかったのか不思議である。「勝てば官軍」の日和見主義のなせるところだろうか。また、失敗の原因の一つに「理念の欠如」があったと言われているが、オリンピックは万博と違って内容は明白だから、要は言葉の遊びではなくて、そこで開く必然性と準備に関する取り組みの姿勢の問題だろう。取りあえず実施を決めて具体策はそれからという、従来から日本では常套手段なっていた思考形態に警鐘が鳴らされたと言うことだ。

 うろうろしている内に参議院議員選挙も始まってしまった。なにしろ異常な「小泉フィーヴァー」で、彼が街頭に姿を現すとこのクソ暑いのにみるみる人が集まり、超人気タレントに対するような熱い眼差しを贈っているからおそれいる。それが政治に関心を持ったことになるのかどうかは不明だが、自民党の「反小泉派」も、ちゃっかり得票率の向上という恩恵にだけは与ろうというのだから、何ともシラケた気分にもなる。
 街頭演説が始まって、また「皆様にお訴え申し上げます」なる不思議な敬語が飛び出している。大体こういう手合いは、選挙の時だけ非常に卑屈な態度をとり、一旦当選してしまうとふんぞり返って選挙民の訴えなどには耳を貸さなくなるのだ。
 不思議な敬語と言えば、相変わらずプロ野球中継などで解説者が「もう1点もあげたくないですネ」などとやっている。「もう1点もやれませんね」と言う方が普通なはずだ。そのいやにお上品ぶった言い回しは、折角の試合の緊迫感もなにもどこかへ跳んでしまうのだが……。

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 【98】 2001年 7月16日

Teddy●亦々、暑さに負けてのボヤキです
   (今回はショートリリーフです。悪しからず。)
 先週「不思議な敬語」の使い方に触れたが、新聞の投書でもTVのリポーターの言葉遣いに関するものがあった。やっぱり気にしている人が少なくないのだろう。

 最近「BS2」の『21世紀に残したい日本の風景』という番組で耳にして気になった例。この番組は、視聴者が後世に残したいと思う故郷の風景などを推薦する形式を採っているのだが、各場面の紹介アナウンスが「お便りをくれた**さん云々」である。「便り」には丁寧語を使っているが、肝心の「提供した行為」の方は並の扱いである。のっけに「お便り」と聞けば自然に敬語表現を予期するから、ここは「提供してくれた人」への感謝の意を(持っているならばの話だが)込めて「お便りをくださった**さん」と言うところではないのか? 「**さんからのお便りです」などとは表現が違うと思うのだが。

 もう随分以前からすっかり定着してしまった「変な」言い回しに『オモトメヤスイ価格で云々』と言うのがある。「モトメヤスイ」に「オ」を付けて敬語表現のつもりなのだろうが、コチトラは言語学者ではないからよくわからないが、モトメルを敬語にすれば『オモトメニナリヤスイ』なのではないかと思うので、どうもしっくりこない。

 あるビルの玄関にある無人のデスクに「訪問者受付機」。その前に立つとやおらその機械が発声する「画面をゴソウサシテクダサイ」。えっ? ゴソウサシテ? 誤操作するの? いや待てよ、そうじゃない「操作」なんだよな。でも、これでは「誤操作してくれ」に聞こえる。「操作する」を丁寧に言うなら「ゴソウサクダサイ」じゃないの? 「シテ」は余計だよ。それよりもっと端的に「画面を操作してください」でちっとも構わないんじゃないか。文字通り取って付けたような「ゴ」がまことにそらぞらしく響く。

 電話で、「荷物はオツキニナリマシタか?」??

 ああ暑いなァ、もう……。

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 【99】 2001年 7月23日

Teddy●「モリサガル」って何だ!?
 何とも異常な出来事が続きすぎる。そして相変わらず、ニホンゴにまつわる不思議な現象も続発する?
 例によってテレビ……参議院議員選挙と高校野球……暑い中をご苦労さんです。で、その模様を伝えるニュース番組で、再三聞こえてくる不思議な言葉遣い――。曰く『……このエンテンカノナカ云々』。判っているのかねえ「エンテンカ」とは「炎天下」で、真夏の焼けつくような太陽の輝きのもとにあることを言うのですよ。炎天下の中とはなんだ? 思い出すと小さい頃こんな唄を歌ったっけ……「イニシエノ、ムカシノブシノサムライガ、ウマカラオチテラクバシテ、アカイカオシテセキメンシ、イエヘカエッテキタクシテ、ハラカッキッテセップクシタ」。言うまでもなくこれは『古の昔武士の侍が、馬から落ちて落馬して、赤い顔して赤面し、家へ帰って帰宅して、腹かっ切って切腹した』という、重複した表現を茶化したものだ。
 そうかと思うと、あの痛ましい明石の歩道橋事故の報道に「群衆が将棋倒しになった」とあったのに対して、将棋関係機関から好ましくない表現と抗議があった(事実、その後のNHKなどでは用いられていない)とか、懲罰的な意味を込めて使われる「お灸をすえる」という言い方に鍼灸関係方面から異議が出たとか言われている。
 この伝で行くと、「猫っ被り」「犬死に」「鯨飲馬食」「蛙の面に水」「豚に真珠」などは動物愛護協会あたりから早晩文句が出そうだし、「下駄履きで」とか「下駄を履かす」などの用法は、日本の生活文化の上で重要な役割を担って来た便利な履き物を不当に卑しめていること「将棋倒し」同様と云うことにもなろう。
 これらのことは、先に述べた「カタテオチ」などの場合(『弘法、筆を選ばず』の項参照)に等しく、もしこういう比喩的言い回しが全面的に「規制」されてくると、日本語そのものがひどく味気なくなってしまう。
 一方ではまた、複数の任期に跨って職に在ることを「続投する」、一所懸命励むことを「全力投球する」などという(野球の投手の立場に擬した)オカシナ表現が、公的発言でも立派に罷り通っていて、どこからも文句が出ない不思議さ。
 フシギと言えば、極めつけは「モリサガル」なる奇妙きてれつな日本語が、いよいよ放送でも「市民権」を得たようなのが驚きである。「盛り上がる」の逆の雰囲気を表す冗談言葉としての「盛り下がる」は、極めて安直で口にした瞬間に恥ずかしくなる位出来の悪いものだが、まあワカル。だがそれが、音楽関係の解説文に堂々と「ここは盛り下げてください」と真面目に書かれているのを見ると、思わず吹き出したくなると同時に、ウソ寒い気分になる。そしてつい最近、テレビで出演者が、シャレめかしもせず全くのマジ(! Hi! )で「モリッサガッテイマス」と宣ったのを聞いて、暗然とした……。
 この調子では、早い内に日本語表現の「純正種」と「絶滅種」をなんとか保存する手だてを考える必要がありそうである。

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【100】 2001年 7月30日

Teddy●どっちもどっち
 大臣と外務省問題に関する自民党の内部紛争(?)のことである。あまり品のいい表現ではないが日本の諺に『メクソ、ハナクソヲワラウ』というのがあるが、田中現外務大臣を攻撃する自民党や外務省方面の発言などはその典型であろう。なにはともあれ現大臣が従来の殻を破った行動によって外務官僚の恐るべき無軌道ぶりに正面から対処しようとしたのだが、歴代の大臣どもは自らがそれを放置しておいたことを棚に上げて、いまや現大臣の失点を数え上げることに躍起になっている。それが外国に対して恥ずかしいというのだが、もっと恥ずかしいのは一連の外務省の「取り込み詐欺」事件ではないか。また過日の参議院議員選挙の応援演説が、応援ではなくて妨害だから懲罰を、と騒いでいるが、なるほどあれは型破りもいいところで、第三者をきめこむものには嬉しくなるくらい面白かった。というのも、この種の「大物による応援」の実体と候補者担ぎ出しの状況を、驚くほど正直に暴き出していたからだ。大体選挙の応援と云ったら、肝心の候補者名を取り違えたり所謂「仲人口」で無責任に推薦するスタイルは今までも日常茶飯事だったが、今回田中大臣が演壇で傍らの応援すべき候補者の名前を堂々と聞いたなどは、なんとも言えず可笑しい。また「皆さん、騙されてはいけませんよ」も、目の前の一候補者のためにしゃべっているのではなくて、真剣な政治家から選挙民への訴えとして聞けばそれでよかろう。まあその時の立場に相応しかったかどうかは別ではあるが、やはり彼女はその時そう言いたい想いに突き上げられたのだろう……。

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