Weekly Spot Back Number
October 2001


109  いまさらどうでもいいことか…… 10月 1日版
110  「平和憲法」そのものは国を守ってはくれない。 10月 8日版
111  二回目の「千人のチェロコンサート」 10月15日版
112  パンドラの箱は開けられた 10月22日版
113  コンサート 雑感 10月29日版



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【109】 2001年10月 1日号

Teddy●いまさらどうでもいいことか……
 ともかく「あの事件」以来気が滅入ってしょうがない。それに追い打ちを掛けるような日本政府の対応……。
 そんな中で、これはもう本当にどうでもいいようなことなのだが、またしてもテレビが発するニホンゴの問題にひっかかる。
 あなたはこれをどう発音しますか?――『陰陽師』 オンミョウジ――
 テレビのコマーシャル予告編では、堂々と『浅草』『法隆』と同じイントネーションで宣う。だがこれは『講釈』あるいは『放蕩』と同じ発音が適切だと思う。一体どこから前者のような発音が可能になるのか? 毎度のことながら、原稿を貰って読む人は、その発音を耳から聞いた者がどんな「文字=意味」を想像する可能性があるのか思いやったことがあるのか、不思議千万である。
 因みに音楽の世界では、学習の段階で音楽力を試す方法として「初見演奏」が用いられる。演者が初めて目にした楽譜を演奏して、聴き手に彼の手にある譜面=音楽を作曲者の意図に沿って正しく想像させ得る(ウルと発音する。いまはもっぱらエルようだが)かどうかを試すのだ。
 ニホンゴの崩壊と日本人の精神構造の変貌が同時進行しているように思われてならない。……これも要するに取るに足らぬ愚痴ではある。

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 【110】 2001年10月8日号

peace●「憲法第九条」そのものは国を守ってはくれない。
 日曜日の朝、いつものように目をやった新聞から飛び込んできた大見出し『米国、アフガニスタンを空爆』。
 一瞬「鉛を飲んだように」胸がつかえた。「あの事件」以来ただでさえ気が滅入ってしようがなかったのに、決定的な追い打ちを掛けられたのだ。
 最も怖れていた事態に、やはり突入した。これは、確実に果てしない泥沼へ踏み込んだことを意味する。そしてテロリスト達に格好の「反撃」の口実を与えてしまった今、世界は絶えずテロの恐怖に怯え続けねばならなくなったと言える。
 数千人の民間人の生命を一瞬にして奪い、世界の経済を混乱に陥れた「犯人」は、形容しようもないほど憎むべき存在である。しかし「あの事件」の首謀者が誰であったかを、完璧に立証することは不可能であろう。そしてこの見えざる彼等に対する「完璧な報復」は果たして可能なのだろうか。
 いかなる規模にせよ、テロそのものは絶対に否定されねばならぬ。良識ある立場としては、本来、たとえ気の遠くなるような迂遠な方法であるとしても、テロそのものを根絶する方策、テロリズムを掲げる輩を世界から孤立させて行く道を選ばざるを得なかったのではないか。しかしアメリカが攻撃した今となっては、「テロリスト対自由世界」であると如何に説明しようとて「イスラム教対異教徒」の聖戦構図にすり替えられることは必定。仮にタリバーンとラディンを表面上逼塞させ得たとしても、構図の根は絶対に消滅することはない。悲しむべき事に「平和」は永遠に失われたに等しい。

 ところで、今回の事態に対する日本の対応は如何だったろうか。
 まず、この期に及んでも相も変わらず「田中はずし」などという小汚い工作が堂々とまかり通っているのはオドロキである。これも国家としての危機管理能力の重大な問題であろう。そんなことよりも、何故、全政治能力を注ぎ込んで、無辜の市民の犠牲が如何に悲惨であるかを体験した唯一の「被爆国」として、また戦争放棄を謳った「平和憲法」を有する唯一の国家として、外交面で強力に動こうとしないのか、歯がゆい限りである。
 そして「開戦」となってしまった今、せめてアフガニスタン一般市民への援助に尽力して欲しいと思うのに、軍事行動の後方支援などという曖昧な方針を打ち出し、憲法との整合性を懸命に探り、果ては改憲の議論を巻き起こそうとしているのは、何としても納得がいかない。

 「憲法第九条」そのものが国を守ってはくれる訳ではない。その憲法が立派に機能するように、常々世界に向かって外交の舞台で積極的に振る舞ってこそ、初めて意味を持つのだ。そんな分かり切ったことに気がつかないように思えるお偉い方々に率いられた我が国は、一体どこへ行こうとしているのだろうか。

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 【111】 2001年10月15日号

peace●二回目の「千人のチェロコンサート」
 あの阪神淡路大震災から音楽の力で立ち直ろうと企画された「千人のチェロコンサート」の第二回が今年の夏行われた。ここでは、前回に続き参加された宝塚市在住の女性から提供された「レポート」をご紹介する。彼女は「**の手習い」でチェロを始めた「アマチュア」であるが、どうやら音楽の持つ不思議な魅力に取り憑かれたようだ。

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 最初の「千人チェロコンサート」が行われてから、早や三年の月日が経ちました。
 今回は二回目のコンサートですが、国際チェロフェスティバル協会が発足して第一回目のコンサートになりました。
 1998年に行われた神戸復興のチャリティコンサートの精神を受け継ぎ、災害で傷む地域の人々や、またハンディを背負う人々に対しチェロ合奏の音楽を通じて愛と励ましとを贈ろうとするものです。
 特に今回は三日間にわたりマエストロによる公開レッスンや彼らのリサイタル、そしてワークショップやクリニックを同時に設けチェロに関する様々な情報、ノウハウをそこから得られるような、まさに一大イベントとなりました。
 今回を夏に予定したのは三日間にわたり出席できるためには、夏休みに入ったところが好都合ではないかと言う思いがあったのですが、経験が三年以上あること技術的にもある程度の技量があることなどと、参加資格にかかれた為に出足が鈍く事務局を慌てさせました。おまけに参議院選挙とも重なった上に、アマチュアは四回以上の公式練習がノルマと課せられ、千人は欲しいと言う願いとは裏腹に六月になっても中々増えずやっと700人を越える人数で最終日を迎えました。
神戸  公式練習と言うのは、日本中に散らばっている参加者が住む場所に近いところで、合奏練習ができるように事務局から依頼されたリーダーが場所を確保し日時を設定し公表します。ホームページあるいは事務局から参加者に配られるプリントを見て自主的に練習に参加する事です。でも各都道府県に練習場が設定されているわけでなく、今回に限って言えば神戸、東京、横浜、ソウル、小倉、金沢、名古屋、札幌、山形、でした。リーダーもアマチュアが大半ですから練習は土曜日か日曜日に限られ、練習場所もリーダーが所属する勤務先の会議室やあるいは公民館、学校の体育館などをお借りして行われました。住所に近いと言ってもホテルをとったり、何時間もかけて練習に駆けつけたりしなければならない参加者もあり、それらをすべてクリアして本番に備えました。
 関西は大阪、明石等でも小人数で練習が行なわれましたが、本拠地・神戸の練習場は本番会場のワールド記念ホールに近い港島小学校の体育館をお借りして行われました。近隣の県からも百人を超える参加者が集い、広い体育館もチェロを抱えた人でいっぱいになりました。
 早く会場に着いた人から椅子を並べ指揮台をセッティングし二時きっかりに音だしができるよう442ヘルツに音を合わせて、指揮者を待ちます。
 三年前に弾いた曲もありますが、メドレーや『第九シンフォニー』の四楽章は、はじめての曲で特に念入りに練習をしました。メドレーは十三ケ国の曲が指揮者・山下一史氏によって編曲されたもので、『八十日間世界一周』から日本の曲『ふるさと』まで約二十数分、それぞれに調も拍子もテンポも違い、なかなかぴたっと合いません。『第九』にいたっては本番ではソロとコーラス、管楽器と打楽器それにコントラバスが入ると言うユニークな編成、しかも途中何十小節も省略される構成でイメージがとらえにくく、テンポもモルト・プレストで我々初心者にはかなり難解なものでした。
 最後の神戸での公式練習は7月21日で、今まで以上に大勢の参加者が詰め掛けました。第11・12パートだけは最初からあの有名なメロディーを受け持つので、平常より一時間早く午後一時から招集と言う連絡が入りました。一時から開始と言う事は12時から場所のセッティングをして受付を済ませ音だしをしてスタンバイしていなければなりません。
 昼食もそこそこに練習を始めました。悪い事に、その日は今までになく気温が高く、気象台では確か今までで一番高い気温を発表した日でした。
 小学校の体育館というのはエアコンも扇風機もなく、スレート屋根の高い天井、その下に窓がついていますが、風は入ってきません。入り口と出口とは目一杯あけてはありますが,東の入り口は運動場に面していてグランドの砂ぼこりと熱風が容赦なく入ってきます。一時間から一時間半弾いては15分の休憩があるのですが、トイレに行きお茶を飲むともう集合がかかり、椅子に腰掛けると椅子は暖房をつけた便座のように暖かく、弾く前からポタポタと汗がしずくになって流れ落ちてきます。可哀相にチェロはベタベタになり、弦を何度調整しても音が下がる始末。それでも本番までもう一週間もないということで、だれ一人文句も言わず必死です。指揮者もTシャツ全部汗でぬれていました。
 休憩になると互いに「シンドイネ」「あついね」といたわりあい、励まし合いながら夕方の5時半まで頑張りました。チェロを片付け、諸注意を聞き、椅子などを仕舞い、駐車場までチェロを運んだのはよかったのですが、この後がいけません。
 目の前が真っ暗になりました。
 たまたま、ポートピアホテルの喫茶店入り口近くにいたので、椅子に腰掛けさせて頂き冷たいおしぼりと、冷たい水とをもってきていただきました。
 生あくびがしきりにでて、顔から赤みがすっかりなくなっているのが、自分でもよく分かりました。一緒に参加していた姪が「救急車を呼ぼうか」と心配して聞いてくれるのですが、返事をする声すら出ません。確実に血圧が下がっていたのです。
 小一時間もそうしているうちに徐々に意識がはっきりしてきました。まだふらふらはしていましたが、姪に車の運転を代わってもらい帰る事ができました。
 この程度ですんでよかったと思います。今年の暑さは格別でした。
 三年前に87歳だった方は今年も参加されていました。91歳になられたそうです。年齢から見れば彼が倒れても不思議はないのに、とてもお元気でした。鍛え方が違うのでしょうね。

 クリニックのコーナーには、ベルリンからクラフトさんが来日されるという情報を得ていたのでお会いできると楽しみにしていました。
 以前ベルリンへ演奏旅行に行った時、彼の工房を見学させていただいたのが縁でお手紙のやりとりをしていました。とても閑静な住宅街・ツェーレンドルフのなかに工房とご自宅があり、実際に木を削り研磨をする細かい作業を見せて頂きました。特に神経を使う個所は小さなかんなやナイフを持って明かりの下で一つ一つゆっくりと削っておられました。かんな、ナイフ、のみ、などはわざわざ日本から宮大工が使う物を取り寄せていると聞き驚きました。
 今回、久しぶりにお会いできて懐かしく、折角の機会だからとチェロを見て頂きました。エンドピンの根元の黒い合成樹脂の部分がはがれかかっていたのを見つけられ、これは早く直した方がいいが時間はあるのかと尋ねられ午前の合同練習さえキャンセルすれば大丈夫と直して頂く事にしました。弦もはずしニカワで張り直すので乾くのに三・四時間はかかるということでした。出来上がるのを待つ間、公開レッスンを見学したり、ワークショップをひやかしたりとゆっくり休養することにしました。
 午後からは美しくなったチェロで合同練習に参加する事ができました。クラフトさんに感謝、感謝です。

 当日は海外からも韓国、アメリカ、ドイツ、イタリア等の14ケ国70人が参加して、国内の参加者と合わせると約720人がチェロを奏でました。教科書問題、靖国神社問題で日韓の間がぎくしゃくする中、韓国からの参加者がはたして海を渡ってきてくれるかが心配されましたが、音楽を愛する心はそれを乗り越えて申し込み者全員が欠席する事なく演奏を楽しみました。
 次回は三年後、今度は横浜で開かれるそうです。【K. Y.】

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※この記事掲載後、寄稿者から訂正が入り『横浜での演奏会は来年の3月になりました。』とのこと。4年後には神戸でロストロポーヴィッチやヨーヨー・マまで担ぎ出そうという勢いになっているとか。発展を祈る!

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 【112】 2001年10月22日号

peace●パンドラの箱は開けられた
 アメリカでの炭疽菌汚染は深刻化している。もはや生物化学兵器によるテロ行為であることは否めぬ事実となった。アメリカ以外への展開がないとは誰にも保証できない事態に至っている。真の犯人は明らかになりそうにもないが、無責任極まる地雷の敷設よりもさらに数等悪辣なその手段の卑劣・残忍さに対しては、何人にもそれを正当化する権利は付与されないであろう。
 思えば、日本でのオウム真理教によるサリン散布事件で最後の歯止めが外されてしまった以上、早晩世界の何処かでこういう事態が起こりうるだろうという懸念は、不幸にも現実となってしまった。
 ほぼ時を同じくして日本国内では「狂牛病」問題が発生し、これもまた当然起こりうる危機に対する、国としての無策ぶりが表面化して各方面で大変な混乱を招いている。「お上」は相変わらず対症療法の小手先処理で収めようとして「食牛宣伝」という馬鹿げたパフォマンスでことを軽く片づけたがっているが、今回の炭疽菌問題に対しても今のところ目立った対応は取られていないようだ。ここで、よもや大福餅を食ったり脱脂粉乳を飲んだりしてみせるつもりはあるまいが、「お上」にはもう一度あのサリン事件を思い出し教訓にして、万全の危機管理対策を講じて欲しい――と念じてみても、現実に「こと」が起こるまでは動き出しはしないだろうと思うと、空しいだけである。
 依然として続く米国の軍事行為……「右の頬を打たれたら左も出せ」とまでは言わぬが、ただ「殴られたら殴り返す」では子供の喧嘩。事件の犠牲となった人たちは、自らの命の代償として根本的な解決策にはならないこのような形の「報復」のみを望んではいまい。最近は新聞・テレビの「ニュース」を見聞きするたびに、この上もなく憂鬱になる日々――と書いていても胸が苦しくなってくる。

 果たして「希望」は残っているのだろうか。

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 【113】 2001年10月29日号

Teddy●コンサート 雑感
 最近気になることがある。それは、オーケストラの演奏会での、まあセレモニーと言うか、演出と言うか、ある「型」についてである。もちろん今ではあまりにも常識化していて、不思議でも何でもないのだろうかも知れぬが……「オールド・ファン」には、やはり気になる。というのは、こんな場合である
 「一ベル」が鳴って、しばらくすると楽員が登場する、客席から拍手――はいいのだが、人数が多いと途中でくたびれて、遂には途絶えてしまう。まあ、これは聴衆の好意だからよしとするか。だが、やはりこの拍手は不要だと思う。
 そしてコンサート・マスター登場――当然、もう一度拍手。これは指揮者に次いで権威ある存在だし、立派なアーティストなので敬意を以て迎えよう。だが、アマチュアの学生オケなどでそのスタイルでやられると、ちょっとこちらが気恥ずかしい。勿論、それがゲストで迎えられた然るべき人物ならば否やはないのだが、仲間内の輪番制のポジションだと考えてしまう。いつ頃からこのパターンになったのだ? この無意味な「型」の模倣には、こちらは演奏前から半分シラけてしまって、オイオイあんまりカッコつけるなよ、と毒づきたくもなるのだ。
 先日覗いたコンサートでは、ご丁寧にも、客席が暗くなりそしてステージの明かりが全開になってから、ぞろぞろぞろと楽員の登場だったので、折角起こった拍手が次第に勢いを失い、やがて消えたときは何ともバツが悪かった。そしてやっと全員が席について、コンマスが登場、それから延々と各楽器の音合わせがあって……肝心の指揮者の、何と間の抜けた登場であったことか。
 ここは、演奏前の快い緊張感に浸る為にも、プロのオケは、コンマスと指揮者の登場に拍手、アマチュアの場合は、全員揃って音合わせが終わってからライトを上げ、指揮者の登場で始まり、として欲しいものでる。

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