130 | ても煩わしき肩書かな | 3月 4日版 |
131 | どうして「作り物がすべて」なのか(万博に) | 3月11日版 |
132 | 「離党」したからどうだと言うのだ? | 3月18日版 |
133 | 「ブルータス、お前もか」(1) | 3月25日版 |
【130】 2002年 3月 4日号 |
![]() 自民党の国会議員にまつわる不祥事が次々に明るみに出ているが、それを報ずるTVニュースで頻発される肩書の煩わしさには、ほとほと閉口する。 例の鈴木宗男センセイに必ず付けられる「ゼンシュウギインギインウンエイイインチョウ」……何故? ことは、彼がその「シュウギインギインウンエイイインチョウ」時代に起こったか、若しくはその職権を利用して引き起こしたわけでもあるまい。なれば、何も舌をかみそうな肩書きを頻繁に繰り返す必然性はなく、また(朝鮮人民民主主義共和国を「北朝鮮」とするような)適当な略語もないとなれば、さらにどうでも偉そうな肩書きが付けたければ最初に「スズキムネオ・ゼンシュウギインギインウンエイイインチョウ」とやって、あとは、鈴木宗男議員、あるいは鈴木宗男氏でいいじゃないか。 また加藤紘一「モトカンジチョウ」も、その集金マシンで問題人物である佐藤「モトダイヒョウ」も同じ。繰り返される肩書きも、いつ頃の何の幹事長や何の代表なのかさっぱり判らず、ただただ耳障りなだけである。前にも述べたが(2001年5月)、肩書きにこだわるのも一種の「差別」だと思うが、どうだろう。 もっと書きたいことがほかにあったのだが、あまりにも馬鹿馬鹿しい「事件」が頻発するので、物申す気力も失せた、というのが現在の正直な心境である。 |
【131】 2002年3月11日号 |
【132】 2002年 3月18日号 |
【133】 2002年3月25日号 |
![]() ――などと気取ってもいられまいが、「氷山の一角」とはまことによく言ったものだと、つくづく感心してしまう。 食品偽表示問題――「雪印」が発端となって袋叩きに遭ったが、つまりは業界のほとんどすべての分野で日常的に行われていると言うことである。これは「制度」の不備というより、運用上の問題であって 、一つは業界のモラル欠如、一つは監督官庁の硬直した姿勢と事なかれ主義、そしてもう一つは(案外これが最大のポイント?)消費者の「ブランド信奉」にある。この最後の点では音楽界にも似たような傾向があり、「カタカナ崇拝」「ウィーン・ベルリン詣で」等々もその一端であろう。 まあ言ってみれば、牛肉を口に入れて、その産地を当てるような舌の持ち主にはお目にかかったことがない、というあたりを考えてみれば、松阪だろうと飛騨だろうとオーストラリアだろうと、自分の味覚に適ったものを「おいしい」と定義して満足していればいいのだ。その「味の違い」のレパートリーを増やそうと思うのはそれぞれの探求心や好奇心、あるいは向上心の問題である。だから「無印良品」の存在の可能性に関心を持たず、ひたすらラベルに欺かれる消費者は残念ながら自らの責任を認めざるを得まいが、許せないのはそれに付け込んで不当に利益を上げようと言うするヤカラ、特に深刻な事態に便乗して「税金」を詐取しようとする心根の卑しさである。 唐突に思い出すのがかつての「ガダニーニ事件」だ。もしあのヴァイオリンが、生まれはともかく楽器として逸品であれば評価されるべきであり、それを「ガダニーニ」という肩書きの故に評価し、そうでなければ価値を認めないという風潮は頷けないものであった。 ともあれ、この食品問題では、消費者が己の味覚を信頼することが一つの自衛手段であることは確かである。そしてこのことは、みせかけの商品価値を高めるため行われている様々な作為が、実は消費者側が知らず知らずに引き出している反自然行為であることにも思い至らねばなるまい。 (この項、続く) |