Essays by “Drinking Bear”
Edition 2008

その1: 2月11日版

 相変わらず「ヘンな日本語」

その2: 3月26日版

 TV−CMの「ヘンな日本語」

その3: 4月 6日版

 噴飯もののお粗末論法

その4: 4月28日版

  猫を追うより皿を引け

その5:11月 4日版

 気に入らない「案内放送」

その6:12月31日版

 ……そして、暮れた……



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【1】 2008年 2月11日号

Teddy ●相変わらず「ヘンな日本語」

【前置き】2008年は、何とも情けない幕開きだった。元日の夜半に入院するという事態に陥いり、そして再入院から退院した2月2日までの間、シャバでまともに「働いた」のはわずか5日、あとはベッドで過ごすという生まれて初めての悲惨な時間を過ごしたのだ。そしてまだ、月末にオペが……。

 今朝の新聞折り込みチラシの一つをヤリダマにあげよう。
 某大企業のソレに曰く:

「好きな時間にお問い合せをしたい方は……」
「まず、お話を聞きたい方は……」
 この「敬語」らしきものの使い方の無惨さよ.

 例えば、今はもうすっかり「定番」になってしまった業界用語
  「オモトメヤスイお値段で」
 この例では「求める」の敬語表現は決して「お求める」ではなく、「お求めになる」の筈である。となれば「求め易い」は「オモトメニナリヤスイ」と言うべき(勿論「求めお易い」ではないことは明らか)であろう。よってこの場合は、丁寧に言えば
  「お求めになり易い(お)値段で」
になるのでは?

 はじめの例に戻ろう。
 「好きな時間にお問い合せをしたい方は……」(問い合わされるのは誰だ?)は

お好きな時間に問い合せをなさりたい(お)方は……」
だろうし、
 「まず、お話を聞きたい方は……」(話をするのは一体どっちなんだ?)は
「まず、話をお聞きになりたい(お)方は……」
と言って欲しいものだ。チラシの言い方だと、客に(自分に対する)敬語を使わせていることになる。つまり主体と客体が全然判っていないのだ。
 「ご主人様」だの「お客様」だのといくら書きたてても、所詮うわべだけのお世辞に過ぎないことを堂々とさらけ出して恥じない――ということにも気がついていないから救いようがない。

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【2】 2008年 3月26日号

Teddy●TV−CMの「ヘンな日本語」

 ま、今に始まったことではないが、最近のテレビのコマーシャルに登場するヘンな日本語の例を二つ(あまりテレビを見ないので、これは偶々耳にした例に過ぎない)。

『……想定外の揺れも想定しています』
 耐震性の優れたことを言わんとするのだろうが、これはユーモラスな表現を狙ったものか、真面目な発言が舌っ足らずになったのか、聞き手としては「?」である。
 もし100%真面目なら、従来耐震性を云々する時に想定されていた最大震度を超える震度(原発への影響で話題となった)にも対応していると言いたいとすると、一体何処までを保証しているのか範囲が不明であるだけに、一種の誇大広告になりかねない。
 いわゆる「軽いノリ」のユーモラスな効果を考えているにしては、ことがことだけに拙すぎると思うのだが。
『……有効的です。』
 この言い方は、以前スポーツ中継の解説者が使う場合を取り上げたが、やっぱり気になる。耳から入った「ユーコーテキ」に対応する単語は、どうしても「友好的」しか浮かばない。「効果がある」或いは「有効である」ことを「効果的」と表現するのが普通だろう。この宣伝文を書いた人、読み上げた人の頭の中には、潜在的に「自分テキ」「ワタシテキ」などの使い慣れた言いまわしがあったに違いない。

――
 その表現が徐々にスタンダード化されてゆくテレビの影響力は恐ろしい。わざわざ「字幕付き」で強調される「スッゲエ」「ウメエ」などは、幼い子供達の語彙にちゃんとインプットされ、気軽に会話している途中にもドキっとさせられることしばしばである。


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【3】 2008年 4月 6日号

Teddy●噴飯もののお粗末論法

 世は「ガソリン値下げ」騒動で囂しい。ガソリンスタンドや消費者の反応、マスコミの対応にもどうかと思うフシが多々あるが、これについての首相のコメントを聞いて唖然としていたら、今度は麻生氏も同じ趣意を強調しているようだ。

 大体この騒ぎは、そもそもそれまで相次ぐ原油価格の高騰でジリジリ上昇していたガソリンの値段が、たまたま「暫定課税が解消」されたため見かけ上低下したのであって、原油高が解消した訳でもなく、期間を定めぬ「暫定」が使命を終えれば、何時でも起こった現象に過ぎない。誰かが意図的に「値下げ」したのではなくて、「下がるべくして下がった」のだ。

 首相は、環境サミットを主催する日本が、いまガソリンを安くして消費を奨励するようなことをやって、「外国はどう思うでしょうかねェ」と、例によって他人事のようなボヤキ調で「風吹けば桶屋儲かる」式のお粗末な三段論法を展開し、つい昨日は自民党の麻生氏が、同趣意を熱っぽく語っている。
 じゃあ本来「暫定税」を何に使っているかと言えば、「道路」関連に特定しているじゃないか。つまり道路を快適に利用できるようにして、車をどんどん走らせたいのだろう。それは結局ガソリンの大量消費を促進し、環境に悪影響を及ぼすことを奨励していることになっているじゃないか(ああそうか。道路を造り過ぎることを恐れて、あちこちで無関係なことに浪費するのを黙認しているのかね)。

 それにしても「諸外国への聞こえは如何か」という論調は、心ない親が子供の悪戯をたしなめるのに「アノオジチャンニシカラレルカラ、ヤメナ」と言っているのに等しく、発言者のセンスを疑いたくなる。
 ガソリンが安くなったら国民がドライブ旅行などで大量に使用するだろう、というのはフザケた言いがかりだ。そうならこっちも、「暫定」税は、税金を不労所得の如く受け取って浪費できるオカミ、一部大企業や富裕層だけは除いて、大半の一般庶民に容易に買えないように吊り上げておくためかね、とヒガミたくなる。
 本当に必要としているのなら、もっと「暫定」税の意義について、積極的に我々を説得して欲しい。そんな姿勢はカケラも見えないから腹立たしいのだ。

 政府(首相)は旗色悪しとなると「一般財源化」などと口走り始めた。
 これも芸が無い。本気で環境問題と暫定税の関係を考えているとも思えない。道路交通と環境を取り上げるならば、CO排出を減少させるプロジェクトや、クリーン・エネルギーの開発、個人のムダな消費を抑えるための公共交通機関の充実など、巨額の税収の積極的な利用方法はいくらでもある。
 それに真摯に向き合うことなく、単なる既得権益確保のためだけに動こうとしている(ように見える)のは、それこそ日本の政治姿勢についての諸外国への聞こえや如何? と問いたくなるのだ。


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【4】 2008年4月28日号

Teddy●猫を追うより皿を引け

 タバコの自動販売機に「カード読み取り機」を付けて、「TASPO」なる成人にのみ発行するカードが無ければ買えないようにする、とお役所が張り切っている。もっとも肝心の喫煙家は、カードを発行していただく手続きがヤッカイそうなのでなかなか手を出さず(このあたりは、税務署が鳴り物入りで躍起になっている確定申告の「e-tax」と似ている)、まだ推定喫煙人口の十分の一程度しか取得していないとやら。焦ったお役所は、運転免許証でもOKという「別のキカイ」を開発し取り付けることもスルようだ。

 購入者が成人であることを確認するということで、TASPO にせよ免許証にせよ写真付きで一応もっともらしいが、キカイはその「カードが本物」かどうかは判断しても、ソレを「持ってきたのが本人」であるとは確認できない。他人に貸与したりしないよう「良心に期待する」のなら、なあにそもそも自動販売機そのものに本来期待していたはずで、殊更物々しく「カードで本人確認」など持ち出すこともない。実効性の乏しいシステムの導入によって、またどこかで誰かが儲け、そのうち制度そのものもウヤムヤになって、壮大なムダの発生を見るのがオチだろう。

 なんでもキカイに頼ればいいという発想は、もういい加減に止めに出来ないか。
 人間が人間らしくあれば解決でき、また人が人らしさを実感できる日常生活に重きを置く風潮に戻りたい。
 要は、ことわざに曰く:

「猫を追うより皿を引け」
で、酒もタバコも自販機を止めて、従前のように酒屋・タバコ屋で対面販売にすればいいのだ。
 但しこれも――買い手・売り手が「ひとである」という大前提あってのことなのだが……。

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【5】 2008年11月 4日号

Teddy●気に入らない「案内放送」

 今に始まったことではないが、日本の公共の場での「案内放送」には気になる(と云うよりも気に入らない)ことが多い。
 そもそも「Ladies and gentlemen !」ですむ外国に比べ、「毎度ご利用有難うございます。お客様にご案内申し上げます」式に始めなければならない日本の習慣は、いささか煩わしく思えてならないが、それにしても――である。

●名古屋市バスの例:
 次の停留所名を挙げて「お降りの方はボタンでお知らせください」とやり、そこから実に沢山の「ご案内」が入り、客の押したボタンに「次、停まります」と答える時には、都心ではもう次の停留所に着いてしまっている位だ。しかもその案内の殆どが、自動車の運転に関する注意なのが腑に落ちない。自分で車を運転して動いている者が市バスに乗る機会が、どれくらいの割合であるものと考えられているのか。また内容も、無理な追い越しをするな、信号を守れ、などの基本的なものが中心だ。
 まあそれも大切には違いないが、どうせならもっと重要で実際的な心得を説いてみたらどうだろう。「夕暮れが近づいたら、また悪天候の時には、必ずヘッドライトを点灯しろ。自分のためではなく他者にとって存在を知らせるために必要なことだ。」とか、「交差点で右・左折するときは、出来るだけ早い時点で方向指示器を」など、いま実際に守られていない場合が多いことを指摘したい。
 しかし、市バス利用者にはむしろ自転車を使用する機会の方が多いのではないか。だったら「暗くなったらライトを点けて自分の存在を明らかにせよ」、「やたらに歩道を突っ走らないこと」、「ケイタイを操作しながら走るなどもってのほか」など、とやったら如何であろう。
 因みに外国での経験からすると、向こうでは実に素っ気なく停留所名を云うだけで、「停まってから座席を立て」だのなんだのと余計なことをゴチャゴチャ言いはしない。

●高速道路の交通情報の例:
 走行中の車両が交通情報をキャッチできる区間がある。そこに進入してラジオのスィッチを入れたとして、その時が情報放送の開始時点だとは勿論限らない。つまり大半の車は情報全体を把握するのに「二回り目」が絶対必要なのだ。しかし放送は、一通りアナウンスしたあと必ずいろいろ付け加える。どうも一回り分の所要時間が決まっていて、情報量がそれより少ないと「穴埋め」に何か付け加えねばならないことになっているようだ。運転マナーなどをくどくどやられると、聞けなかった最初の部分を早く聞かないと受信区間が終わってしまわないかと気もそぞろで、運転に集中できなくなりかねない。
 何時だったか、笑えると同時に腹が立ったことがあった。その「埋め草」に曰く:「ETC カードは正しく挿入してください……」、「有効期限の切れたカードは使用できません……」等々。あのねェ、いま、ちゃんとゲートを通って高速道路を走ってるんですけどねェ。それから「交通情報は携帯電話でもお聞きになれます……」とやっておいて「危険ですから運転中は携帯電話を使用しないでください」だと。何考えているんだろう。
 「交通情報」なら無駄口など一切叩かないで、ただただひたすら繰り返し「最新交通情報」だけを流せば事足りるのだ。
 ところが、その「最新交通情報」も怪しいとなると何をか言わんや、こんな例を実体験した。この春、関西からの帰途、「新名神」経由で亀山を過ぎ「東名阪」に乗った頃、渋滞でのろのろ運転に巻き込まれた。それから延々数十分――その間、三つの「交通情報区間」を過ぎたが、そこでの「情報」は終始一貫「只今の時間、渋滞などの情報は入っておりません」の一点張りだった。現に今渋滞の最中にある身として、原因の判らぬ渋滞に如何にイライラさせられたことか。路肩をすり抜けて突っ走る車が続出していたのも「宜なるかな」である。

(この項 続く)

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【6】 2008年12月31日号

Teddy●……そして、暮れた……

 あっと言う間に年の瀬を迎えた……前回出稿してからモゾモゾしていたので、掛け値なしの実感である。
 あまりにも多くのことがあって、口を挟む間もない位めまぐるしい世の動き――経済・政治・社会――に翻弄され尽くした2008年の終盤だった。
 そう言っても、このまま黙りで年が明けてはナンであるので、「この期に及んで」とは思うが、敢えて一言挟ませて貰うことにしよう。

 「誰でもよかった」――無差別殺人事件の続発は一体なんなのだろう。そして共通した犯人のセリフ。自分で自分を処理出来ぬ情けない意気地なしのお陰で、無辜の人々が犠牲になる痛ましさ。心底から怒りが吹き上げてくる。

 一向に収まることなく続く「振り込め詐欺」。手を替え品を替え襲ってくる輩どもには、何とも腹が立つ。が、その一方で、簡単に相手の言うなりになってしまう「被害者」にも歯がゆい思うが募る。極めて簡単な我が身を守る術を、何故持ち合わせていないのか。
 この問題に限らず、自分に対する責任を各自がしっかり持たねばならない。あなた任せの(延いては責任転嫁の)風潮が蔓延しているのは悲しいことだ。

 経済不況……個人は蓄えを取り崩しつつひたすら時の過ぎるのを待つ。その昔は、姨捨てや間引きが悲しい自営の最後の手段だった。翻って、好況時にさんざん儲けた大企業は、決してそれを吐き出そうとせず「不況だ! 赤字だ!」と騒いで、弱者を切り捨て平然とし、マスコミやジャーナリストも徒らに経済危機を唱え解説するだけで、一向に問題解決に向けての世論のリーダーシップを取ろうとはしない。

 二兆円の支援金に代表されるように、政治家はこの期に及んでもまだ選挙対策以外何も考えなていない。二兆円あったら出来ること、簡単に解決することが山とあるとは、国民みんなが感じでいる。現在必要なことは、安易な対症療法ではなく、将来を見据えた根本的な政策の筈である。にも拘わらず、この、大金を文字通りドブへ捨てるような愚策に何故拘泥し続けるのか、全く持って「一般人」には理解出来ない。「政治」とは一体何であろうか。

 2009年、日本は何処へ向かおうとしているのだろか? 船頭のいない舟に乗せられて、ひたすら漂っている気分である。

 ――《気に入らない「案内放送」》の続きは、とうとう年を越してしまった。


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