18 | 「y2k」に考える | 1月 3日版(第1週掲載) |
19 | 「演じる」ということ | 1月10日版(第2週掲載) |
20 | 「出来ること」と「すること」 | 1月17日版(第3週掲載) |
21 | どうなる愛知万博 | 1月24日版(第4週掲載) |
22 | 『拍手』考(1) | 1月31日版(第5週掲載) |
2000年1月第1週掲載 |
2000年1月第2週掲載 |
2000年1月第3週掲載 |
2000年1月第4週掲載 |
●どうなる愛知万博
![]() 2005年愛知県で催されることになっている「万博」についても、かなりゴタゴタしてきた折りも折り、『吉野川可動堰』問題に対する住民投票の結果が圧倒的多数で「反対」と出て、「土建日本」の体質が厳しく問い直されようとしている。 万博騒動につけて思い出すのだが、名古屋という街が今日のような大都会になったきっかけの一つに、戦前も戦前、その昔に『汎太平洋博覧会』なるものが催されたということをご存じの方はどれほどあろうか。まあ古いことだからくだくだしい話は止すが、ともあれ当時としては、名古屋が近代都市へ大発展を遂げるために必要であり、十二分にその効果があったものだ。 いま計画されている「万博」に、少なくとも地域に対してその必要性ありとすれば、一体どの部分なのだろうか。最近の新聞のスクープに始まった一連の騒動の中で見えてきたのが「新住計画」なるものであり、そこをBIEが鋭く衝いていて、はしなくもそれまで曖昧模糊としていた「愛知万博」の姿が、明るみに出たような気がする。 またこの一連の騒動の中で、いわゆる官僚体質といわれるものが、随所で露呈されて興味深くもあった。BIEの幹部に対して、通産大臣訪問時は、儀礼的な挨拶程度にしておいてくれ、後でこちらからよく説明しておくから、と懇願するなどその最たるものである。日本にとって都合の良いように「説明」され信じ込まされる大臣こそいい面の皮だが、国会答弁などで屡々指摘されるように、大臣は飾り物にという発想が定着していることこそ、日本の政治が前進しない最大の要因であることを証明している。BIE側との「正確な会見メモ」なるものの発表にも、結局ごく一部の当事者以外は「裸の王様」に祭り上げられているのだという現実が如実に現れていた。(「新住」計画ではないとする弁解がふるっている。アカデミック・ゾーンであり、住むのはそのスタッフだと。どなたがお住みになるかの問題では無いというのに、見当違いも甚だしい。) 仮に環境問題がクリアされたとしても、愛知県民のはしくれとして、関心を持たねばならないと承知しつつ、しかしながら万博計画に積極的に興味を持つ気になれない最大のポイントは、ハードの問題ばかり先行して、ソフトについては皆目見当が着かないことだ。これは全く「文化会館」フィーヴァーの時と同様であって、「まず万博会場ありき」が出発点であり、「で、そこで何するの?」という素朴な質問に対する具体的な答の用意は皆無であるように思われる。県知事は「ハノヴァー博にならって多くのイヴェントを計画したい」とおっしゃっているようだが、そのイヴェントの主題はなになのか、この博覧会を通じて世界に何をどのような手段で訴えようとするのか、一日も早くお題目ではなくて具体的に示して欲しい。『海上の森』に斧を入れるにしても「……だから、そこで無ければならないのであり、意味があるのだ……」という論法で願いたいものである。 そしてこれは、完成時期を万博と連動させている「中部国際空港」問題とも当然無縁ではない。11月のこの欄「いったいあんたがた、何考えてんの?」でも触れたが、あの空港も、小牧空港から海外航空各社が相次いで撤退しているいま、本当の「必要性」は果たしてあるのか? 成田や関空を凌駕する規模の、複数の滑走路を擁し抜群の交通アクセスを誇るものを造ろうとするのならまだしも、莫大な費用とエネルギーを注ぎ込んで、さてどこといって特徴のない平凡なものが出来ました、では意味が無かろう。海面埋め立ての第一歩である漁業補償とやらにしても、その補償額の算定基準は皆目不明で、「交渉」なるものの過程も、第三者から見れば失礼ながら「結局ゴネ得じゃないか」としか映らない。 一部の「関係者」がやりたい放題の万博では悲しい限り。いったい、誰のため何のために「愛知万博」が必要なのか、答えてくれるのは、いや答えるべきなのは、“ダァレデショネ?” |
2000年1月第5週掲載 |