40 | 分別収集(1) | 6月 5日版(第2週掲載) |
41 | 選挙〜三つの疑問 | 6月12日版(第3週掲載) |
42 | 室内楽考(1) | 6月19日版(第4週掲載) |
43 | 室内楽考(2) | 6月26日版(第5週掲載) |
2000年6月第2週掲載 |
2000年6月第3週掲載 |
2000年6月第4週掲載 |
![]() 先日、日本の或る人気クヮルテットの演奏会で、そのステージ・リハーサルを垣間見る機会を得た。 日本ではまだ欧米のような「専業」クヮルテットが存在しない。当然このグループも言うなれば「寄せ集め」である。ただその名のクヮルテットとしては固定したメンバーで活動している。彼等はそれぞれに優れた演奏家であり、日常はソリストとしてあるいはオーケストラの主席を占めて活発に活動している。 さて、そのリハーサル風景であるが、本番前の所謂「ゲネプロ」ともなれば、通常ハタで観ていても快い緊張感が伝わってくるはずのものが、なにかひどく集中力に欠けて感じられたのが意外であった。彼等は勿論それぞれが充分な力量の持ち主で、流れ出てくる音そのものにソツはないのだが、そこには、四人で一つの音楽を作り上げようとするよりも、(失礼ながら)なんとなく「合わせて、一丁上がり」的な雰囲気がつきまとうのである。和気藹々として仲良く笑い声が絶えないのを、果たして善しとすべきか。 ふと思い浮かべたのが、先年活動を停止したアメリカのラサール弦楽四重奏団のことである。特に、彼等が始めてルンデに来演した時(開館した1981年の6月)は、来場してから綿密なリハーサル、そして素晴らしい本番が終わるまで、それこそ触れば切れそうなピリピリした雰囲気が付き纏っていた。しかし終演後聴衆のサインの求めに応ずるためロビーに現れてからは、翌日の出立まで、実に気さくなフツーの人たちであった。その後繰り返しルンデにやって来て、随分親しく付き合わせて貰ったが、リハーサルを経て本番を終えるまでの雰囲気は、いつも変わることがなかった。 また、同じ開館の年の12月にやって来たハンガリーの名門バルトーク弦楽四重奏団(その後来日の度にルンデのステージに立って、それはいまも続いている)も、メンバーはそれぞれに人間的に非常に魅力があり、また実に「かわいい」人たちなのだが、一旦ステージに上がるとそのリハーサルは真剣を極め、しばしば激論を戦わしていた(それはまた、彼等の行う室内楽公開レッスンに於いても同様の真剣さであった)。なかでも特に印象に残っている場面の一つは、バルトークの四重奏曲(それこそこの曲は彼等の最も得意とするのレパートリーであり、今までに幾たび演奏してきたか判らないものである)の練習で、四人の中央にメトロノームを置いて、慎重に重要なパッセージの確認をしていたことである。 それらには、四人が一体となる「専業」クヮルテットとして活動して行くことの厳しさを、如実に示していると感じさせられ、それでこそ、その演奏があの深い感動をもたらすものであると納得させられたのであった。(この項、続く) |
2000年6月第5週掲載 |
![]() さて、欧米では、ピアノ・トリオや弦楽四重奏を専業とするグループの活動が立派に成り立っているが、日本では、一都市に10ものプロ・オーケストラが存在する一方で、全国区で活動する専業室内楽グループは無い。ルンデを始めてこの方「どうも日本では三人から30人位までのアンサンブルがウケない」思いはつのるばかりである。ピアノ・リサイタル、有名ソリストと「伴奏者」のコンサート、または大編成のオーケストラでないと、なかなか陽が当たらないのだ。勢い室内楽の分野では「クヮルテットはヴァイオリン二人にヴィオラとチェロがいれば出来るもの」という認識が一般的になり、いうなればソリストやオケマンの「余技」扱いで、そう言う構成の方がむしろ喜ばれ「評価」される傾向にある。 もっとも悲観的な面ばかりではなく、やや明るい兆しも無いわけではない。国外で活動していた人たちが帰国して音大の教授陣に加わるようになり、やっと日本でも本格的な室内楽の講座が開かれ始めた。学生達も、これまでのソリスト志向一本やりの勉強から、アンサンブルにも積極的に目を向けるようになったのだ。これはルンデで隔年に行われるバルトーク弦楽四重奏団の公開レッスンや、その後のコンサートでの演奏ぶりを見ても明らかである。だがこの傾向も、最近では思わぬ障害に遭っていると聞いた。例えばクヮルテットの場合、メンバー四人での練習スケジュールが、個人的な都合優先でなかなかまとまらないというのである。まだまだ目的意識が低いと言わざるを得ない。 それはさておき、前述の(何か麻雀みたいだが)「四人集まれば出来る」からだんだん「四人集めて、やる」になり、最近では随分怪しげな「室内楽コンサート」が横行している。例えば3−4人の弦楽器奏者に複数のピアニストを配したものなどだ。既成のオーケストラに外部からソリストを迎えて行う「協奏曲」と、この手の「室内楽」としての四重奏・五重奏は、随分内容の次元が違うと思うのだが、興行上のリスクを回避するためや、もっと積極的には収益を上げる手段として好んで実施されているようだ。そして多くの場合、アンサンブルとして磨き上げがどの程度なされているか、時間的に観て疑問に思わざるを得ない。これでは音楽としての室内楽への評価は上がるとは思えない。(この項続く) |