14 | 「オンチ」症候群(附・ケイタイ公害) | 12月 6日版(第2週掲載) |
15 | ヴァイオリンは見た(2) | 12月13日版(第3週掲載) |
16 | オモチャ屋さんの閉店 | 12月20日版(第4週掲載) |
17 | 「カレンダー」考 | 12月27日版(第5週掲載) |
1999年12月第2週掲載 |
1999年12月第3週掲載 |
●ヴァイオリンは見た(2)
![]() その和波孝禧さんは今年のルンデでは、オール・ベートーヴェン初期ソナタという、地味ながら大変興味深いプログラムを聴かせてくれた(12月7日ルンデ)。 演奏内容が素晴らしかったことは言うまでもないが、いつもながら感心させられるのは、その演奏姿の美しいことである。彼はかつて『わたしには見えると言うことがどういうことかは判らない。ただ感ずるままの姿勢をとっているだけだ』と言う意味のことを語ってくれた。聴衆が一緒になって音楽に没入できるその立ち姿は、まさに表現することの原点だと思う。 コンサートの後で『今度サイトウキネンで演る《復活》マーラーの練習に取りかかっているんですよ。何しろ楽譜を作るのが大変でね。100ページ以上になっちゃって』と。点訳した楽譜をもとに、オーケストラの一パートを受け持つ……単に記憶力だけでは済まされない想像を絶する世界である。 そう言えばこんなこともあった。或る年のルンデ、ピアノ・トリオの練習中に曲を止めて『チェロ君、そこに decrescendo と書いてあるでしょう?』。チェロ氏つくづく楽譜を見て『ああ、そうです』。 |
サントリー音楽賞の授賞式のパーティーでの挨拶を思い出す。極く普通の口調でそして謙虚に、受賞の喜びと今後の抱負などを簡潔に述べられた。傍らの堤剛さんが『いつもながらお話が上手ですね』と洩らす。横手から見ていた私は、その時和波さんが指先を小さなメモに当てているのに気付いた。きっと要点が記してあったのだろう。しかしながらその挨拶は決して原稿の棒読みではなく、いつもの通りの暖かい語りかけであった。そして思ったのである。国会で演壇に立つ政治家諸君も、一つ点字の勉強をされては如何か、と。味も素っ気もない「施政方針演説朗読」や「予定稿読みっこ論戦」は何の説得力もない。あろうことか自分の意見すら暗記する事が出来ない(?)のなら、せめて点字原稿を使って、顔はまっすぐ相手を見据えて、堂々と表情豊かに発言できないものか、と。
さて、その和波さんは、今コンピュータに、そしてインターネットにハマっているそうだ。彼からの打ち合わせのメールやファックスは、すべて自分でされているとか、奥様が、このごろは私の知らないうちにどんどんやってるみたい、と苦笑される。音声読み上げソフトを使用しているので『画像が多いページは困るんですよ。テキスト中心だと助かりますね』という言葉には大層実感がこもっていて、視覚障害の方へのインターネットの普及ぶりを考えると、今後のページ作りにはよほど留意せねばなるまいと思ったことであった。 |
1999年12月第4週掲載 |
1999年12月第5週掲載 |