ヴァディム・グルーズマン 無伴奏ヴァイオリン・リサイタル
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ヴァディム・グルーズマン プロフィール |
1990年、16歳の時に故アイザック・スターンの前で5分間演奏した折に認められたのをきっかけにスターンとの親交が生まれ、音楽家として、また人間としてスターンから大きな影響を受けた。また、イスラエルとアメリカで彼と共演する機会にも恵まれている。
1994年には、ヘンリク・シェリング・キャリア・アワードを受賞。 現在使用している楽器は、レオポルド・アウアーが使用していた1690年のストラディヴァリウスで、シカゴ・ストラディヴァリ協会より長期貸与されている。 グルーズマンはコルプス・クリスティ国際コンクール、アーヴィング・クライン国際弦楽コンクール(サンフランシスコ)、ティボール・ヴァルガ国際ヴァイオリン・コンクール(スイス)、CIEMジュネーブ国際コンクールで優勝を果たしている。 1994年、ヴェルビエ国際音楽祭、ラジオ・フランス音楽祭(モンペリエ)、ローマで開催されたユーディ・メニューインの指揮によるスペシャル・ガラ・コンサートでは、グルーズマンの演奏がメインとして扱われた。 2003〜04シーズンには四つの大陸で演奏することになっており、韓国ではドミトリー・キタエンコ指揮KBS交響楽団、日本ではハインツ・ワルベルク指揮NHK交響楽団、パーヴォ・ヤルヴィ指揮東京交響楽団と協演する。オーストラリアでは1ヶ月にわたるツアーを行うが、これは2001〜02シーズンのオーストラリア・デビュー以来の同国でのオーケストラ・ツアーとなる。ヨーロッパでは、マレク・ヤノフスキ指揮ドレスデン・フィル、べートーヴェンハレ・オーケストラ(ボン)と協演するほか、ノルウェイ、スペイン、スイス、ロシア、ドイツ、イスラエル、トルコでオーケストラとのコンサートやリサイタルを行う。 2003年6月、グルーズマンとアンジェラ・ヨッフェは著名な振付師ジョン・ノイマイヤーとのコラボレーションにより、レーラ・アウアバッハ作曲「ヴァイオリンとピアノのための24のプレリュード」をハンブルク・バレエとの共演で世界初演した。これは2003年9月にハンブルクで再演された。グルーズマンとヨッフェのために書かれたこの「プレリュード」は録音され、BISレコードからリリースされている。2004年3月にはアメリカでの初演が予定されており、2人はサンフランシスコ・パフォーマンスにおいてリサイタルを2回行う。 2004年にリリースされるBISからの2枚目のアルバムには、シュニトケ、ヴァスクス、ペルト、カンチヱリの作品が収められる予定。またコッホ・インターナショナルからも2枚のCDがリリースされている。 近年では、シカゴ、シャルロット、シンシナティ、コロンバス、デトロイト、ヒューストン、ミネソタ、ユタ、バンクーバー、シアトルの各交響楽団やミュンヘン・フィル、ドレスデン・フィル、シュトゥットガルト放送響、ザールブリュッケン放送響、クレメラータ・バルティカ、スイス・ロマンド管、NDRハノーヴァー、東京交響楽団他と協演している。また、故ユーディ・メニューイン、ドミトリー・キタエンコ、ネーメ・ヤルヴィ、ジェイムズ・デプリースト、ヘスス・ロペス=コボス、ジェイムズ・ジャッド、クラウス・ぺーター・フロール、など、著名指揮者との共演も多い。ヴェルビエ、ラヴィニア、ロッケンハウス、カザルス・フェスティヴァル、コルマール、エルサレム、シュヴェッツィンゲン音楽祭、ラジオ・フランス音楽祭をはじめとする多くの主要音楽祭にも出演している。 リサイタルは、ニューヨーク、ロサンジェルス、シカゴ、ボストン、サンフランシスコを始め、ローマ、ジュネーブ、ベルリン、東京、ケネディー・センター、パリのサル・ガボー、シャトレ座などで行っている。 2000年4月には、展示会「Visas for Life」のために召集された国連総会のホールにおいて、ソリストとして演奏した。 グルーズマンは1973年にウクライナのジトミールで音楽家の一家に生まれ、7歳でヴァイオリンを学び始めた。ザハール・ブロンに師事した後、1990年にイスラエルに移り、テルアビブのルービン音楽院でヨエル・クレスに師事した。さらにアメリカではアルカディ・フォミンのもとで、さらにジュリアード音楽院においてドロシー・ディレイと川崎雅夫のもとで研鐙を積んだ。 |