コーヒー・ブレイクのある ルンデ・コンサート

《An die RUNDE》
山崎伸子 & 小林道夫 デュオ・コンサート

チラシ表

タチアナ・ニコライエワ 署名入りピアノ使用
〜旧スタジオ・ルンデ所蔵〜YAMAHA CF

cf


2015年2月8日(日)14時30分 (開場 14時)
於:電気文化会館ザ・コンサートホール
》 PROGRAMM 《
J. S. バッハ: イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV.971
J. S. バッハ: 無伴奏チェロ組曲 第3番 ハ長調 BWV.1009
― coffee break ―
シューマン: 民謡風の五つの小品 Op.102
ブラームス: チェロ・ソナタ 第1番 ホ短調 Op.38
【全自由席】 3,500円/学生 2,500円
※旧ルンデの会会員の料金については、ルンデまでお問い合わせください。
【主催】ルンデ 052-935-8928
【マネージメント】二宮音楽事務所 052-505-0151
(チケットぴあ  Pコード:248-413)

●このコンサートへの聴衆からのアンケート集は ここから●
チラシ裏
山崎伸子 プロフィール
ソリストとして、室内楽奏者として絶大な信頼を得ている日本を代表するチェリスト。スイス・ロマンド管との共演やイギリスのジャパン・フェスティバルでも活躍、1995年にはシュタイン指揮バンベルク響日本ツアーのソリストに選ばれ、2005年にはアルゲリッチとトリオで共演した。国内外のオーケストラの共演者として欠かせない存在と高く評価されている。2007年から10年間にわたり、チェロ・ソナタの代表曲を網羅したシリーズを展開。並行して、ナミ・レコードからCDをリリースしている。
1987年「村松賞」、「グローバル音楽賞第1回奨励賞」受賞。2012年度『東燃ゼネラル音楽賞』(旧:エクソンモービル音楽賞)奨励賞受賞。現在、桐朋学園大学特任教授、東京藝術大学名誉教授。
ルンデには、無伴奏ソロ、様々な組み合わせによるデュオ、トリオ、四重奏、五重奏、六重奏など、10種にも及ぶ演奏形態による室内楽で22回来演している。
小林道夫 プロフィール
チェンバロ、ピアノ、室内楽、指揮など活動が多方面にわたる第一人者。特にバッハ演奏では最高の評価を得ており、毎年年末には「ゴルトベルク変奏曲」のリサイタルを開催している。室内楽プログラムも多彩で、長年のキャリアに裏付けられた深い解釈は日本のみならず、世界各地で高く評価されている。1956年毎日音楽賞・新人奨励賞、1970年第1回鳥井音楽賞(現サントリー音楽賞)、1972年ザルツブルク国際財団モーツァルテウム記念メダル、1979年モービル音楽賞を受賞している。国立音楽大学大学院教授、大阪芸術大学大学院教授、東京藝術大学客員教授等を歴任し、現在、大分県立芸術文化短期大学客員教授。
ルンデには、バッハ・チクルス、モーツァルト・チクルス、室内楽シリーズ、ニューイヤー・バッハ等で、来演52回に及んだ。東京芸術大学音楽学部楽理科卒業。ドイツのデトモルト音楽大学に留学し幅広く研鑽を積み、帰国後は、チェンバロ、ピアノ、室内楽、指揮など多方面にわたり活躍し、特にバッハ、モーツァルト、シューベルトの解釈、演奏は高く評価されている。
「スタジオ・ルンデのこと」   鈴木 詢(2007年7月12日)
※これは2007年8月2日、朝日新聞夕刊に掲載された「小さな音楽ホール、26年の思い出〜奏者が愛した真剣勝負の場」の原稿です。 http://www.pippo-jp.com/runde/studio/index.html
机の上にレンガ(タイル)が二枚ある。そっと触れ合わせると「チリン」と可憐な響きを発する。ルンデが消滅するのを惜しんだ聴衆とともに、思い出としてステージの壁から剥がしたものだ。四半世紀の間、数々の名演を聴きとってきた茶色っぽいレンガは、ルンデの響きの原点でもあった。
ルンデの建設を思い立った当時、他に音楽専用ホールもなく、「聴く」ための音響設計のノウハウも確立していなかったので、既成概念に囚われない若い設計士と話し合いながら設計して行った。限られた小さな空間に求めた第一は「残響は量より質」であり、響きの理想は、かのトスカニーニの愛した《スタジオ8H》風の「楽器の分離の良さ」であった。それ等を実現させるために重要な役割を担ったのが、ホールの前半分の壁面を覆ったレンガだったのだ。そして限られた予算の中での様々な試行錯誤の末にほぼ意図が達成され(その成果は最終期の室内楽公演=パシフィカQによる「大フーガ」でとどめを刺す)、程良く制御された音響空間は、フルコンサートグランド・ピアノ二台によるデュオ演奏をも可能としたのだった。
ルンデにはふかふかの絨毯も豪華なシャンデリアもなかった。見てくれは良く言えば簡素、悪く言えば貧相だ。だが、そこは「真剣勝負の場」であって、単なる癒やしや慰めではなくて明日への活力を得られるようなコンサートを求めた。それ故、心理的な居心地の良さを感じて貰うため、演奏家にも聴衆にも「主催者としての顔は見えるが必要以上に接近しない」よう配慮した。小規模であるだけの理由で安易に「サロン・コンサート」と呼ばれるのを何よりも嫌ったのである。
自主企画の第一弾は当時まだ学生だった古澤巌で、続いてラサール弦楽四重奏団(アメリカ)が来演。前者は「若き音楽家を迎えて」シリーズの端緒で、やがて将来有望な若者を継続的に支援する「ルンデあしながクラブ」の誕生に繋がる。後者は、終始一貫企画の大原則だった「演奏者がいま一番弾きたいプログラムを聴く」典型であった。以来千回を超えただろう主要な自主企画で、160席が満たされたのは一体何度あったろうか。現実は悲しいかな「半分埋まれば大成功」だった。だがホールの中の空気は、いつも熱い想いを孕んだ静かな緊張に溢れていた。演奏を真正面から受け止めようとする真摯な客席の雰囲気は当然ステージにも伝わり、多くのアーティストが「もう一度そこで弾こう」と思ってくれたようだ。それがルンデの大きな特徴の一つ「演奏家がリピーター」となった。上記ラサールを始め、タチアナ・ニコライエワ、バルトーク弦楽四重奏団、アルテミス・カルテットなどが来日の度に来演、また思い入れ深いプログラムと共にほぼ毎年やって来た御喜美江、和波孝禧、佐藤豊彦等を含め、5回、10回と登場したアーティストは枚挙に暇がない。そこには、演奏家と聴衆が共に年を経て再会を繰り返してゆく、何とも言えぬ味わいがあったと思う。
コンサートでは、多くのアーティストがステージから直接聴衆に話しかけもした。中でも非常に印象的だったのがヴィオラの W. クリストで、彼はアンコールに応える前にこう言った。「わたしは日本で幾度も演奏会を行ってきたが、ここは特別な場所だ。会場や聴衆の雰囲気が大変素晴らしい」と。また一日12時間に4ステージ(ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲全15曲!)という精力的な演奏を行ったマンハッタン・クヮルテットは「このままお客さんごとホールをニューヨークへ持って帰りたい!」と叫んだ。初めての来演だった彼等をしてそう言わしめた聴衆を、ルンデはこの上なく誇りに思う。
素顔は人間味溢れる演奏家たちや熱心で暖かい聴衆の皆さんとの交流から、無数の目に見えない宝物を得たが、形あるものも二つ残った。一つは、亡きタチアナ・ニコライエワ女史が「私のピアノ」と呼んで来演の度にフレームにサインを残してくれた「ヤマハCF」。もう一つは1985年バッハイヤー(小林道夫=バッハ・チクルス全10回)のために日本の名匠、故・堀榮蔵氏に製作を依頼したチェンバロ。これは、財力の乏しいルンデのために聴衆から自発的に創設した「チェンバロ基金」による資金援助を、そして堀氏からは響板に16世紀風の描画(その中にルンデのマークが入っている!)をプレゼント頂いた。共に誇るべき「世界でたった一つ」の楽器だ。
多くの人々の理解や献身にも支えられて、スタジオ・ルンデの26年の「生涯」は、苦しくはあったが実に幸せだったと思う。今年4月末のルンデとしての最終コンサート、52回目の来演となる小林道夫の「チェンバロによるバッハ」のプログラムの端に、ちょっと気取ってゲーテのもじりを書き足しておいた。
Es war einmal ein kleiner Musiksaal in Nagoya,
     der “RUNDE” genannt wurde....

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