【ルンデの会2000年7月例会】

スタジオ・ルンデ開館満20年記念例会シリーズ

《アンサンブル・アンテルコンタンポラン》に迎えられた異才

永野英樹

ピアノ・リサイタル

永野

卓越した素晴らしいテクニックと音楽性を兼ね備えた
永野英樹を、私は心より応援します。(ピエール・ブーレーズ)


 プログラム   プロフィール   最新CD評   メッセージ   この演奏会の新聞評(8月3日付け) 

永野英樹

Hideki Nagano
Piano Recital



2000年7月22日(土)

19:00開演(開場 18:30)

スタジオ・ルンデ

(名古屋市中区丸の内 2-16.-7)

【参加会費】
一般 \4,200、ペア \7,350、学生 \2,100
一部座席予約可(160席中約50席)
休憩時間にはお茶のサービスがあります

【予約、お問合わせ】スタジオ・ルンデ TEL:052−203−4188
programme
フォーレ:バルカローレ 第3番 変ト長調 作品42
フォーレ:バルカローレ 第5番 嬰へ短調 作品66
ミュライユ:河のほとり、別れの鐘と微笑
ミュライユ:ラ・マンドラゴール
メシアン:灰色のダイシャクシギ(「鳥のカタログ」から)
シューベルト:ソナタ 第20番 イ長調 D.959

永野英樹 プロフィール
 永野英樹は、1968年名古屋の生まれ。
 5歳からピアノを始め、12歳でPTNAヤング・ピアニストコンペティションC級金賞及び日本テレビ賞を受賞。15歳で、毎日学生コンクール中学生の部全国第1位となる。
 84年、東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校を経て、87年東京芸術大学音楽学部ピアノ科へ入学。同年、PTNAヤング・ピアニストコンペティション特級首位、文部大臣賞を受賞する。
 88年、パリ国立高等音楽学院(コンセルヴァトワール)ピアノ科並びに歌曲伴奏科へ入学。90年には同音楽学院歌曲伴奏科を一等賞で卒業し、次いで翌91年、同音楽学院ピアノ科を日本人男性で初めて満場一致の首席で卒業。92年には、同音楽学院室内楽クラスも一等賞で卒業、以後、パリでの定期的な演奏会をはじめ、フランス国内はもとより、モスクワ、ロンドン等で活動する。
 95年10月、ピエール・ブーレーズが主宰するアンサンブル・アンテルコンタンポランのソロ・ピアニストとして迎えられるという、日本人初の快挙を成し遂げた。また、97年のサントリー音楽財団サマーフェスティバルで、演奏不可能と言われているクセナキスの「ピアノと86奏者のためのシナファイ」を見事に演奏したことは、今もなお語り草になっている。
 しかし、決して現代作品だけを演奏するのではなく、永野英樹のレパートリーは、古典から現代まで大変幅広く、そのため「日本のポリーニ」という呼び声も聞こえている。
 これまでに、播本三恵子、伊達純、フランスでは、ピアノをジャン=クロード・ペヌティェに、伴奏をアンヌ・グラポツトに師事。
 受賞歴としては、マリア・カナルス国際コンクールメダル受賞(90年)、モントリオール国際音楽コンクール入賞(92年)、第1回20世紀ピアノ音楽国際コンクール入賞。サンソン・フランソワ特別賞受賞(94年)、村松賞(98年)、出光賞(98年)、99年度ショパン協会賞、等。
 CDは、「20世紀フランス音楽作品集」(日本、フォンテック=写真)、「アンタイル作品集」(フランス、アゴン)をリリース。最近ではデンオンから「ロシア&フランス現代ピアノ音楽の系譜」(プロコフィエフ、ミュライユ、メシアンを収録)が発売され、そのピアニズムを絶賛されている(次項参照)。
 現在フランスを拠点に活動しているが、日本へは年2回帰国し、精力的にコンサート活動を行っており、朝日新聞や日経新聞などで高く評価された。この5月には、読売日本交響楽団の定期公演に、ストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」のピアノ奏者として、乞われて来日している。
 世界と互角に勝負できる久々の大器である。
モーストリー・クラシック誌 CD評(2000年6月号)
『毎日学生コンクールの中学生の部で優勝して以来、その将来が期待されたアーティストだが、パリのコンセルヴァトワールヘの入学が、彼の類まれなピアニズムを開花させた。音そのものの機能性や構成美を追及した二十世紀の音楽で、永野の研ぎ澄まされて美しく結晶したピアニズムは最大級の賛辞を得ることになったのだ。ロシア・モダニズムの旗手、プロコフィエフと、今世紀後半のフランス音楽を決定づけたメシアンーミュライエ師弟の作品とで構成されたこのアルバムに、現在の永野のベストを聴くことができる貴重な一枚。だが、内田光子も絶賛したという彼のキャパシティは、なにも現代音楽に留まるものではあるまい。時にみせる陰の濃い音楽の表情に、このピアニストが隠し持つ、もうひとつの「顔」をほのめかしている。』
リサイタルに寄せて  永野英樹
 今回DENONから1枚目のCDのお話があった時、まず最初に決まった曲はプロコフィエフの「束の間の幻影」でした。14、5歳の頃に出会ったこの小品集―これまでにアンコールでその内のいくつかを演奏してきた―を初めて全曲、演奏会で取り上げたばかりでしたし、例えるならショパンの「24の前奏曲」に値するようなこの“Petits bijous”(小さな宝石達)が、実はあまり知られていず、録音も非常に少ないためでもありました。同時代の作曲家達(ストラヴィンスキー、バルトーク、ドビュッシー等)からの影響も見え隠れし、また何より20代の、若きプロコフィエフ初期の作品であるにも関わらず、後々に書かれる作品達を既に暗示させているのは、とても興味深いところです。それに比べ、通称“戦争ソナタ”の1つとして親しまれている「ソナタ第7番」は、壮年期の彼の傑作の1つで、私も高校の卒業試験で弾いて以来度々演奏し、再発見を繰り返している作品です。《戦場の描写》、《機械のように》、《鋼鉄の》、等と、少々冷たい、非人間的なイメージを与えがちですが、ロシア人特有の熱情と、また同時に非常に繊細な感覚―フランス的なエスプリさえ思わせる―を合わせ持った作品だと考えております。
 フランスの作曲家、オリヴィエ・メシアンの初期の作品に「4つのリズムエチュード」というのがあります。この作品は、12音技法を音の長さと強さにも使用する、という新しい作曲法等の試みの故か(《エチュード》という単語には、《練習曲》だけではなく《習作》《研究》等の意味があります)、音楽的にはあまり重要視されていないような気がします。確かに彼は、「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」、「鳥のカタログ」等、素晴らしいピアノ作品をたくさん書いていますから、その理由もわかりますが、その一歩間違えれば非人間的になってしまう作曲法を使って、いかに人間的に書くかという彼の姿勢が窺われて、作曲法の知識が無くとも十分に楽しめる作品になっていると思うのです。殊に「火の島1」、「火の島2」は親しみやすく、もっと演奏される機会があってもよい作品です。メシアンは鳥類学者としても知られており、その殆どの作品に“鳥”が登場します。「鳥のカタログ」はまさに彼の研究の集大成ともいえる作品集で、ここでも彼は、単に鳥の鳴き声の羅列に終わらず、それらを材料として音楽性の高い作品に仕上げています。「灰色ダイシャクシギ」はこの曲集の終曲に当たり、ブルターニュの島 (Ile d《Ouessant) 付近に生食する鳥達の鳴き声や、それらを取り巻く自然の描写(波、日没、燈台のサイレン等)を交えて10分程度の作品にまとめられています。
 トリスタン・ミュライユという名の作曲家を御存じの方は、少ないかもしれません。1947年生まれの彼は、《スペクトル楽派》の一人として知られています。ドビュッシー、メシアン等の流れを汲んだ、所謂《フランス的》な響きを持つ彼の音楽に初めて出会った時、とても新鮮な驚きを受けたのを覚えています。ピアノという楽器からこんな音が出せるのか、徐々に広がっていく水面の波紋の震えを《音》で表現したらこうなるのではないか等とも考えました。倍音の研究ともいえる《スペクトル楽派》の作曲家達にピアノ曲が少ないのは残念な事です。これは倍音とは切っても切れない《4分音》を、ピアノで弾く事が不可能な為だと思いますが、幸いミュライユは4曲程ピアノの為に書いており、大作「忘却の領域」を除いて全てこれまでに演奏してきました。(「河口」、「ラ・マンドラゴール」、「別離の鐘、微笑み…」)その内、「別離の鐘、微笑み…」は、メシアンが追悼の為に書かれ、メシアンの初期の作品「前奏曲集」の中の「苦悩の鐘と別離の涙」からの引用があり、CDの最後を締めくくります。
 コンサートでは、最近興味を持っている、フォーレとシューベルトの作品を付け加えました。“最近興味を…”と書きましたが、日本にいた頃は寧ろ敬遠していた作曲家達でした。フォーレは《軽いサロンの音楽》と決めてかかっていましたし、シューベルトは《単純かつ冗長》等と考えていました。年を経る毎に今まで見えなかった部分が見えてきた、とでもいいましょうか。どちらの作曲家にも通じて言えるのは、その精神性の深さ、でも崇高だとかいうものではなくて、もっと人間味のある、或いはもっと人間臭いエスプリの発見でした。シューベルトの「ソナタD.959」の終楽章で何度も戻ってくる旋律は、決して冗長なんかではない、忘れようと思っても戻ってくるある感情なんだ、と感じるには若すぎたのかもしれません。フォーレの「舟歌第3番、第5番」と共に、昔共感できなかった曲が、どれだけ自分の中に共鳴するようになったかを確かめるべく、今回の演奏に臨みます。
 CD、コンサート共に、多くの皆様にお聴き戴き、共感/反感?等御感想をうかがえましたら幸いです。
現代作品に知的で熱い解釈  読売新聞評(8月3日朝刊)
 パリ在住のピアニスト永野英樹が、故郷の名古屋でリサイタルを開いた。
 世界屈指の現代音楽演奏団体アンサンブル・アンテルコンタンポランのメンバーであり、パリで演奏すれば「ヒューヒュー」と口笛交じりの喝さいを受ける永野だが、名古屋でもかなりの人気だ。
 その魅力の第一は音色にある。最初に弾いたフォーレの『舟歌』で、すでに千変万化の色彩美が広がった。柔軟でしなやかな動きで丁寧に音楽を奏でていく人であると同時に、唐突に響きを断ち切ったり、骨太の和音を雄々しく立ち上がらせたりして、瞬間瞬間を無駄なく積み重ねていく。そして何より、現代の作品に対しての知的で熱い解釈がうれしい。
 パリでも幾度か永野の演奏に触れる機会があったが、今回演奏した、トリスタン・ミュライユの『別れの鐘と微笑……』と『ラ・マンドラゴール』では、特に永野の美質が冴えた。響きの中の、ほんの小さな部分要素にまで細心の注意を払い、打鍵の瞬間から残響による長い残像のおしまいまでを完ぺきにコントロールして、やや複雑ではあるが明確な方向性をもって突き進むミュライユの音楽を立体的に立ちあげていったのである。メシアンの『鳥のカタログ』からの一曲、「灰色のダイシャクシギ」においても、動き、色、重力など、視覚的で映像的とさえ言えるような強烈な印象を築き上げていった。
 後半の曲目、シューベルトの『ピアノソナタ第20番』では、さすがに音色の構成力のみで押し通すことはできなかったが、解釈次第、演奏次第でいかようにでも変容しうる古典的名曲と真摯に対峙し、現代的で個性的な世界を膨らませることのできる永野のイマジネーションは、現代作品に向かう時と同様に、端々しく官能的な時空間を開いていった。
(作曲家・水野みか子 7月22日、スタジオ・ルンデで)

前のページへピッポのトップへ