”Music....., that is the stream of energy.“ (音楽……、それはエネルギーの波動だ、と私は思います。) |
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これまでの数々の演奏活動を経て聴衆の声にじかにふれ、 今、この言葉への思いをあらたにしています。 私のピアノ演奏に触れて、何かふわっとした globalな空間が、 聞き手の皆さまの日常生活の ひとコマとして立ち上ぼり、消えてゆく……、 そんな communicableな光景を想うとき、 ふと浮かび上がってきたプログラムなのです。 |
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モ−ツァルト :ピアノ・ソナタ K.333 「トルコ行進曲付」 ラヴェル:ソナティネ 〜・〜・〜・〜 フォ−レ:ノクタ−ン 第4番 リスト:コンソレ−ション 第2番 ショパン:ポロネ−ズ 嬰ハ短調 作品26の1 ショパン:ポロネーズ 変ホ短調 作品26の2 ショパン:ワルツ 変ニ長調 作品70の3 ショパン:ポロネーズ 変イ長調 作品61“幻想ポロネーズ” 1999.10.30(土)19:00 スタジオ・ルンデ 全自由席 3,500円/ ペア 6,000円(前売りのみ) お問合せ・マネージメント: ルンデ(052)203−4188 |
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最近、私は“オペラを聴く”のが好きである。今年2月、イタリア、ミラノ・スカラ座で、ム−ティ指揮のヴェルディ「運命の力」を観ることが出来た。スカラの舞台は、“見る”ほうの刺激も大いに満たしてくれる。 私はピアノ、という楽器に嗜めば嗜むほど、この<現代のグランドピアノ>が持つ力の大きさに、偉大とさえ感じることがある。 ピアノが次々と改良され、<現代のグランドピアノ>がほゞ完成したのが、ショパン後期の時代であり、モ−ツァルトやベ−ト−ヴェンの時代ではない。しかしながら、私たちはこのグランドピアノで、クラヴサンの響きを引くだすことも、ベ−ト−ヴェンの初期のピアノソナタとともに弦楽四重奏を愉しむことも、後期ソナタを従えてオ−ケストラの響きを味わうことも出来る。こうしてロマン派の時代、多くの作曲家によってたくさんの素晴らしいピアノ作品が生み出されることになる。 私はそれぞれの作曲家たちが醸す“ピアニズム”の響きに触れるとき、ピアノを奏でる歓びを実感する。“ピアニズム”〜響きの融合、……それは、オペラの醍醐味と共通する。私は“オペラを聴く”とき、響きが混ざり合い、溶け出でる音の粒子の動きのなかに、その作曲家の宇宙を聴いてしまう。そしてなかでもモ−ツァルトのオペラを聴くとき−−ここで理由を講釈するつもりはないが−−、つくづく彼は天才だったのだ、と思うのだ。 今回演奏するモ−ツァルトソナタイ長調「トルコ行進曲付き」は、私のなかではまさにオペラである。そしてプログラムの後半にあるショパンの「幻想ポロネ−ズ」では−−ショパンは数々の期待をよそに一生涯オペラを書かなかったのであるが−−、彼が描いた(音楽上の)壮大な宇宙観と、彼のこころの内に響く真の音楽の魂を、私はこのオペラ的作品のなかに聴いているのである。 ショパンについて ショパンは芸術家であり、芸術家というのは人生の数ある側面のなかでどこかしら isolatedされた存在である。この isolatedされる要因が人をよりartistic にさせる場合もあるし、芸術的であることが孤独を促進させることもあり得る。今回のプログラムで私がとり上げる作品は、奇しくもショパンの人生の節目にあたる3つの時期から選ぶ格好になっている。 時代背景からして愛する家族や初恋のひとを祖国に残して単身外国に出た彼の煩悶は堪えがたいものがあったに相違ないが、ショパンの少年期は、環境的には恵まれたものであった。そうしてパリに居を安定させた1831年(21才)から5年余りは、音楽家としても、ひとりの青年としても人生の充実期にあった。 今回演奏しようと思っている「ワルツ」作品70−3は彼の初恋のひと、コンスタンツィヤのために書かれたもので、現実的な苦悩からは未だ程遠い若き日の瑠璃としたショパン像を偲ばせる。 作品26の<2つのポロネ−ズ>の作曲年については、1832年説もある。いずれにしてもマリヤ・ヴォジンスカとの出会いから婚約までの時期にあたり、パリの音楽界で成功した音楽家のひとりとしての生活を築き、自分と自分をとり囲む諸々の物事を思索し、人間としての幅を広げようと彼がポジティヴに行動した時期の作品である。 さて37年の夏、マリヤとの恋に破れたことから、ショパンの芸術性は頂点に向かって進むことになる。人生とは皮肉なものだ。彼が幸福な中年以降を迎えていたら、私たちはショパン後期のこのような珠玉の作品に出会う幸わせを持ちあわせただろうか。 自棄ぼっくりからの恋なのか、はじめ「なんて虫の好かないひと」としか映らなかったジョルジュ・サンドとショパンは、38年に入って恋に発展する。サンドという女性は平凡な恋愛対象というより、ショパンが芸術家として生きるためには必要不可欠なる存在だった、と私は理解している。もちろん彼は豊かな少年時代を送っているので礼節をもち合わせ、思慮深く、おだやかで、優しい。しかしながらショパンの人生後半は、自分のなかで日々成長をつづける自己の芸術性との闘いの連続であったろう、と私は想う。 ポロネ−ズ第7番<幻想ポロネ−ズ>は、この音楽家人生のクライマックスとも言える1846年、サンドとの破局が決定的となった年に書き上げられたもので、私はこの曲をレパ−トリ−として持ちつづけたい、と思っている。 ショパン自身の音楽の意味、銀河系宇宙の如く豊かで穏やかな彼の音楽概念とピアノ音楽との結合を想うこと抜きには、この作品を語ることは出来ないからである。 (1999年 初秋) |