佐藤豊彦 リュート・リサイタル

没後250年を迎えるバッハとヴァイスの音楽

豊彦 《ルンデの会12月例会》
12月18日(土)19:00(開場 18:30)
スタジオ・ルンデ
(名古屋市中区丸の内 2-16.-7)

バッハ:組曲 変ロ長調 (BWV.1010)
ヴァイス:組曲 ハ短調
バッハ:組曲 変ホ長調 (BWV.1007)
ヴァイス:組曲 ニ短調

【参加会費】一般 \4,200、ペア \7,350、学生 \2,100
      一部座席予約可(160席中約50席)
【予約、お問合わせ】スタジオ・ルンデ 
       TEL:052−203−4188


プログラム・ノート 佐藤豊彦

 リュートの発祥については未だに定かではないが、インド辺り、或いは中近東ともエジプトとも言われている。日本では琵琶と呼ばれるリュートが(恐らく中国のシルクロード経由で)持ち込まれたと同じ頃、7、8世紀にサラセン人によってヨーロッパ(先ずスペイン)へ持ち込まれる。アラビア語のウード(木の意味)に冠詞が付いてラウードとなり、ラウト、リウト、リュト、ラウテなどを経て英語ではリュート(lute)と呼ばれる。
 ヨーロッパに入ったリュートは恐ろしい速度で普及し、17世紀末にその座をチェンバロに譲るまではヨーロッパの最主要楽器として、14世紀にはボッカッチョマショーなどに、1500年頃のイタリーでは「悪魔のフランチェスコ」と呼ばれたリュートの名手フランチェスコ・ダ・ミラノが現れ、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ガリレイなどのインテリ層も競ってリュートを弾いた。
 イギリスのエリザベス王朝にはジョン・ダウランドというリュートの名手が現れ、17世紀のフランスでもゴディエ派のリュートの名手たちが一世を風靡した。

 「バッハはリュートを弾いた?」かどうかは分からない。が、バッハはリュートの作品を残している。その中でもチェロ組曲の第5番と同一曲である「シュースター氏のためのリュート組曲」は非常に良く書かれている。ほとんど手直しをしないでリュートでの演奏が可能である。この点から観るとバッハはいくらかリュートが弾けたようである。しかしこの曲は低いGの音が頻繁に使われていて、この頃一般的に用いられた13コースのリュートでは音域が足りない。しかし、14コースのリュートが全く無かった訳ではなく、バッハの常に新しい楽器(チェンバロリュート、ヴィオラ・ダモーレ、オーボエ・ダ・カッチャなど)のために曲を書いた姿勢を観ると不思議ではない。しかも、バッハヴァイス同様ヨハン・クリスチャン・ホフマンの作ったリュートを所有していたが、13コースであったかどうかは分かっていない。バッハのリュートのための作品には無伴奏ヴァイオリンからの彼自身による編曲もあるが、楽器のサイズやピッチからしてチェロの作品の方がリュートにより向いているように思われる。
 そこでチェロ組曲の第1番、第4番をリュート用に編曲したのが今回のプログラムである。

 天才リュート奏者シルヴィウス・レオポルド・ヴァイスバッハより1年遅い1686年に生まれた。ヴァイスは当時ドイツ語圏で最大の都であったドレスデンの宮廷付きリュート奏者として、すべての器楽奏者の中で、ヨーロッパ最高の年棒を受けていた。そのためバッハとの交友も、バッハが息子のヴィルヘルム・フリーデマンを仲介者として、バッハの方からヴァイスを訪ねて行くことに始まった。
 ヴァイスが今日バッハほど有名でないのは、ヴァイスほとんどリュートの作品のみしか書かなかったことと、それらがリュート・タブラチュアと呼ばれる特殊な記譜法であったため、今世紀後半になって再びリュートが弾かれるまで日の目を見ることがなかったことにある。

 キリスト紀元2000年はバッハヴァイスが亡くなって250年になる。二人のリュート音楽に於ける作風は「組曲」という形式としては良く似ている。
 「組曲」は17世紀のフランスのリュート奏者達によって作られたもので、舞曲の集まりから成っている。その中でもアルマンド、クーラント、サラバンド、ジグは最も頻繁に用いられた宮廷の舞曲である。それに前奏曲としてプレリュード、アントレー、オーヴァーチュア(序曲)などが用いられ、途中でガヴォット、ブーレなどの庶民の舞曲が加わる。
 18世紀にはジグの前にメヌエットという比較的単純な舞曲が用いられるようになった。メヌエットはずっと後のベートーヴェンの頃までも健在であった。サラバンドも兄弟分のフォリア、シャコンヌ、パッサカリアなどと共に後の時代の作曲家達にも用いられた。アルマンドは19世紀にはレンドラーとなり、最後はワルツになってしまう。

豊彦  バッハの音楽はあくまでも作品自体にあって、バッハ自身が頻繁に行なっているように、いろいろな楽器に編曲してもその本質を失うことはない。一方ヴァイスの音楽はあくまでもリュートのために作られたもので、他の楽器で演奏するとその価値は半減してしまう。つまり、リュートでの音質や音色の変化、或いは弦やポジションの違いから生まれるニュアンスの効果による演奏のための作品と言えよう。この点では二人の作品には大きな違いがある。
 バッハの作品をよりリュート的に(もちろん本質を損なわないで)編曲するのが現代のリュート奏者のバッハの音楽に対する正しいアプローチであると思う。ちなみにリュート演奏に達者でなかったバッハヴァイスの組曲の一つを自分の得意な楽器であるチェンバロ用に編曲し、それにオブリガートのヴァイオリン・パートを付け加えている。これがBWV1025の「オブリガート・チェンバロ付きヴァイオリン・ソナタ」と呼ばれているものであるヴァイスバッハの作品をリュート用に編曲しなかったのは今となっては残念であるが、当時はヴァイスのリュート音楽の方が(彼の名演奏と合わせて)遥かに評価が高かったため、致し方ない事実である。
 しかし、コンピューターによる超自動化時代の中、そのまる反対である絢爛にして優雅なドイツの後期バロック音楽を人間の手で演奏可能な中で最も複雑怪奇な楽器であるバロックリュートで「どこかに素朴なたどたどしさを残しながら」聴けるのは、ある意味では「贅沢」と言えるのではないだろうか。

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