53 | 恐るべき利己主義 | 9月 4日版(第2週掲載) |
54 | 見る文章、口にする文章 | 9月11日版(第3週掲載) |
55 | コンサートとマナー(1) | 9月18日版(第4週掲載) |
56 | コンサートとマナー(2) | 9月25日版(第5週掲載) |
2000年9月第2週掲載 |
2000年9月第2週掲載 |
2000年9月第4週掲載 |
2000年9月第5週掲載 |
![]() コンサートは聴衆が作るもの 演奏会場の座席に身を沈めて開演を静かに待つ間の、期待を伴った快い緊張感が好きだ。CD一枚より高額の料金を投資し「一期一会」の生演奏を満喫しようと出向いた以上、そのひとときを価値あらしめようとするのは当然である。 しかるに、中にはオシャベリに夢中で、「予鈴」が鳴り、客席が暗くステージが明るくなっても、そして演奏者が登場してもなお、拍手をしながらまだ声高に喋り続ける手合いある。そして曲間で演奏者が退場すればたちまち口を開く。要は茶の間のテレビに向かっている感覚なのであろうが、何のために今、自分が、人々がそこに居るのか、全く理解していないのが不思議である。余韻を楽しむとか期待に胸をふくらませるということは無いのだろうか。 余韻と云えば、演奏が終わった途端信じ難く早く反応する拍手もまた、折角の気分をブチ壊す。終止の何小節も前から今や遅しと待ち構えているのであろうが、ご苦労なことだ。しかしながら、最後の響きがホール空間から楽器の中に戻るのを確かめた演奏者自身が緊張を解かない限り、音楽は終わっていない。聴くものは、初めてそこで解放されるのである。反応を起すのはそれからであろう。 聴いてみなくちゃわからない コンサートを「売る」ことの難しさは、その良さが「終わってみなければ判らない」ところにあると言えよう。食べ物にしても他人が「美味しい」と推薦しても、所詮は自分の舌が判断を下すはずで「食べてみなければ判らない」。この「……みなければ」がポイントで、これはひとえに各人の好奇心であり勇気に依存するのみだ。 先日『チェコ室内楽フェスティヴァル』を聴いた(8月26・27日。スタジオ・ルンデ)。出演したのは初来日のモラヴィア弦楽四重奏団、プログラムは六人のチェコの作曲家の作品。この「マイナー」な組合せのため聴衆の数は極めて少なかったが、驚く程の集中力のもとになされた演奏は実に素晴らしく、あらためて世界は広いと感じ入った。 強い緊張感に支配された会場の空気は演奏者をいやがうえにも高揚させ、最後のヴィチェスラフ・ノヴァークのピアノ五重奏曲では、ピアニスト(藤井裕子)が感動のあまり涙を浮かべつつ演奏していたのが印象的であった。そして当日会場に足を運び共にコンサートを造りあげた聴衆に、心から敬意を表する。 (月刊『中部経済界』2000年10月号寄稿文より) |